利根川を5分で渡る100年以上の時間旅行〜群馬・赤岩の渡し(前編)
「あと少し待ってね」
利根川のほとりに着くと、船頭さんがそう声をかけてくれました。
時刻は午後1時少し前。ちょうどお昼休みの終わりごろだったようです。川辺には真夏の日差しが降り注ぎ、風景全体が白くまぶしく飛んで見えるほどでした。
ここは、群馬県千代田町と埼玉県熊谷市の間を結ぶ「赤岩の渡し」。橋ではなく、小さな船に乗って利根川を渡ることのできる、全国でも珍しい場所です。
新宿から湘南新宿ラインで熊谷へ。そこから群馬県太田市に住む友人の車に乗り換え、利根川を目指しました。
川を渡る時間は、わずか5分ほど。
けれど、その短い船旅には、江戸時代の水運の記憶、人々の暮らしを支えてきた渡しの歴史、そして地域の現在が凝縮されていました。
今回は、真夏の利根川で体験した「赤岩の渡し」の旅をご紹介します。
新宿から熊谷へ、猛暑の利根川を目指す
赤岩の渡しは、公共交通機関だけで訪れようとするなら、少し計画の必要な場所にあります。
群馬県側の最寄りとなる東武伊勢崎線の館林駅からは「赤岩渡船」まで路線バスが運行されています。一方、埼玉県側へはJR熊谷駅から葛和田方面へのバスが利用できます。つまり、バスと渡し船を乗り継いで群馬と埼玉を行き来することも可能です。千代田町の案内では、館林駅と熊谷駅の間を、赤岩渡船を挟んでバス路線が結んでいると紹介されています。ただし、便数や接続時間を考えると、初めて訪れる人には少し難易度が高いかもしれません。
今回は、群馬県太田市に住む大切な友人が熊谷駅まで迎えに来てくれることになりました。新宿駅から湘南新宿ラインに乗れば、乗り換えなしで熊谷駅まで行くことができます。東京から遠いようでいて、電車に乗ってしまえば意外にわかりやすい道のりです。通勤電車の延長ですが、少し長い時間になるため1,000円を投資してグリーン車で快適に向かいます。

熊谷駅からは友人の車で。
熊谷といえば、夏の暑さで全国的に知られる土地です。訪れたのは7月中旬。梅雨明けが翌日にも発表されそうな日で、空気の中に夏本番の気配が満ちていました。
車を降りた瞬間、思わず「暑い」と声が出ます。日陰に入っても、空気そのものが温められているようです。川辺なら少しは涼しいのではないかという期待もありましたが、利根川の堤防へ向かう道にも容赦なく日差しが照りつけていました。
それでも、堤防の階段を上っていくと、少しずつ視界が開けてきます。そして上り切った先に現れたのは、広々とした利根川でした。川の向こうには低い緑が連なり、その上には夏の青空が広がっています。高い建物に遮られることのない景色は、東京からそれほど遠くない場所とは思えないほど雄大です。
川岸には小さな船着き場があり、船頭さんの待機する小屋が建っています。到着したのは午後0時50分頃。声をかけると、船頭さんから「あと少し待ってね」と返事がありました。ちょうど休憩を取っている時間だったようです。のんびりしているなあ。
利根川の交通を支えた「赤岩の渡し」の歴史

赤岩の渡しは、群馬県千代田町赤岩と、対岸の埼玉県熊谷市葛和田を結んでいます。正式には「赤岩渡船(あかいわとせん)」と呼ばれ、現在も主要地方道熊谷・館林線の一部として運航されています。「え、道の一部?」と思いませんか。
つまり、ここは単なる観光用の遊覧船ではありません。道路が川岸で途切れ、その続きを船が担っている「橋のない公道」なのです。運賃が無料なのも、県道の一部として運航されているためです。千代田町によれば、赤岩渡船は現在も年間1万人を超える人に利用されています。
その歴史は実はとても長いのです。
国土交通省や千代田町の資料によると、永禄年間、現在から450年以上前には、上杉輝虎、のちの上杉謙信の軍勢がこの付近で利根川を渡ったことを伝える記録が残されています。
江戸時代になると、利根川は人や物資を大量に運ぶ重要な水上交通路として発達しました。現在のように鉄道やトラックがなかった時代、米や生活物資を遠くへ運ぶには、船が欠かせません。赤岩周辺には、舞木、上五箇、上中森、下中森など複数の「河岸」があり、船着き場を中心に人と荷物が集まったのです。
そのなかでも赤岩は水深があり、大型船が入ることのできる立地に恵まれていました。江戸方面からやって来た大型船の終点となり、物資を別の船や陸路へ引き継ぐ河川交通の要所として栄えたといいます。赤岩の渡しは江戸時代に幕府が定めた「坂東十六渡津」に数えられ、宿場町としてもにぎわいました。

対岸の葛和田にも河岸があり、江戸時代には年貢米などを積み出す港として発展しました。年貢米、参勤交代の荷物、日々の生活物資まで、さまざまなものがこの川を往来していたのです。
利根川は、地域を隔てる境界であると同時に、人と物を結びつける大きな道でもありました。
しかし、明治時代以降、鉄道や道路、橋の整備が進むと、舟運は次第にその役割を失っていきます。利根川沿いにあった渡船場も、橋の完成や交通手段の変化に伴って次々と廃止されました。
赤岩の河岸も、明治中頃を境にかつての繁栄を失いましたが、地域の人々が川を渡るための交通手段として、渡船の機能は残されました。
赤岩渡船は大正15年、1926年に県営となり、昭和24年、1949年からは県の委託を受けた千代田町が管理運営を行っています。今、目の前にある小さな船は、姿や動力を変えながら、何世代にもわたってこの土地の往来を支えてきたのです。
(後編へ続く)
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もっと知りたいあなたへ
群馬県千代田町ホームページ「赤岩渡船」
https://www.town.chiyoda.gunma.jp/kankyo/doboku/doboku002.html
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。