松茸の香りに、秋を待つ〜日本人が大切にしてきた旬の味覚とは何かを探る〜
炊きたてのご飯から立ち上る香り、土瓶のふたを開ける瞬間の楽しみ。松茸は、食卓に秋の訪れを知らせる食材である。2026年は長野県の産地から豊作の便りが届き、例年より手に取りやすい秋となった地域もある。古くから珍重される一方、産地では身近にも親しまれてきた松茸。その歴史と料理をたどると、日本人が季節の移ろいを感じ、旬を味わうために重ねてきた工夫が見えてくる。
豊作の秋、松茸が少し身近になる
2026年、長い夏が終わり急に秋めいてきたと思っていたら、長野県では松茸の豊作が伝えられている。JA長野県グループのニュースによれば、長野県諏訪市(すわし)のJA信州諏訪「夢マーケット文出(ふみで)」では、長雨と、その合間の適度な晴れ間の影響で、例年以上の収穫に恵まれたという。
出品の増加に合わせて売り場を広げ、購入客からは、今年初めての松茸を安く買えたと喜ぶ声も寄せられたのだそうだ。
高級食材という印象が強い松茸だが、豊作の年には、家庭の食卓との距離が少し縮まる。売り場に並ぶ姿を見て、今夜は炊き込みご飯にしようか、焼いてみようかと思いを巡らせる。その相談だけでも、普段の買い物が秋らしい楽しみに変わるように感じる。
こうした喜びには、その年の自然に食事を委ねる面白さがある。完全管理で人工的に栽培しているものではないため、毎年同じ時期に、同じ量が採れるとは限らない。だからこそ、豊作という知らせが気になり、手に入った一本をどう味わうかに心を配るのである。
旬を楽しむとは、単に食べ頃の食材を選ぶことだけではない。今年の雨や気温、産地の様子に耳を傾け、食卓と遠くの山を結び付けることでもある。松茸は、そのつながりを香りとともに実感させてくれる食材だ。
古代の歌から、秋の行楽へ

松茸と日本人の関わりは古い。国立国会図書館の解説では、「万葉集」に松茸の香りを詠んだとされる歌が紹介されていたとある。現在のような流通や保存の仕組みがなかった時代から、人々は山の香りに秋を感じ、それを言葉に残してきたのだ。
平安時代には、貴族たちが都の周辺の松林へ松茸狩りに出かけた。採った松茸は、現在と同じように焼き物や汁物として食べたという。松茸を探すことと、持ち帰って食べることが、一続きの秋の楽しみであった。
江戸時代になると、大名たちも松茸狩りを楽しむようになる。徳川光圀(いわゆる水戸黄門)も、隠居後に松茸狩りを楽しんだと国会図書館の解説にも紹介されている。さらに江戸時代の後半には、上方の庶民にも、きのこ狩りや松茸狩りを娯楽とする山遊びが広がった。
こうした歩みを見ると、松茸を珍重する文化は、料理の味だけで育まれたものではないと感じられる。秋の山へ足を運び、探し、採り、その日の食卓で味わう。食べ物を得る行為そのものが、季節を楽しむ行事になっていたのだ。
今では自ら山に入らずとも、店頭で松茸に出合える。それでも、姿を見て秋の到来を感じ、香りを楽しみに献立を考える気持ちは、昔の人々とも通じるように思う。松茸は長い時間をかけて、秋を待ち、秋を確かめる食材へと地位を築いてきたのである。
ごちそうでもあり、産地の暮らしの味でもある

松茸の価値は、地域や時代によって異なってきた。江戸時代の京都や大坂では、秋になると松茸市がにぎわった。一方、江戸では新鮮なきのこを手に入れる機会が少なく、将軍家には産地の大名から塩漬けの松茸が贈られていた。産地との距離や流通の事情が、食べ方にも違いを生んでいたのである。
今日の「高級食材」という印象も、昔から一様に続いてきたわけではない。日本森林学会誌に掲載された研究では、1950年代後半から1960年代の松茸には、日々のおかずに使うきのことしての側面があったことが示されている。当時の料理書には、他のきのこの代わりや、節約料理の材料として使う例も見られるという。
現在の感覚からすると意外だが、それだけ松茸が暮らしに近かった場面もあったのだ。松茸の歴史には、特別な日のごちそうとしての歴史と、採れる土地で日常的に味わわれた歴史が重なっている。
京都の松茸ごはんも、その両方を伝える料理である。農林水産省によると、京都では香りや歯ごたえを特徴とする「丹波マツタケ」などが流通し、秋には料亭や割烹で松茸料理が供される。一方、産地に近い家庭でも松茸ごはんが作られている。
同じ一膳でも、旅先で味わう人には特別なごちそうであり、地元の人には家族と過ごした秋を思い出す味かもしれない。値段や希少性に加え、土地の暮らしや個人の記憶も、食材の価値を形づくっているのである。
焼く、蒸す、炊く。和食が引き出す秋の香り

松茸料理の魅力は、香りと歯ごたえをさまざまに楽しめることだ。炭火焼き、土瓶蒸し、吸い物、炊き込みご飯などが、松茸の食感や香りを楽しむ代表的な調理法としてよく知られている。
焼き松茸は、素材そのものと向き合う一品である。焼き上がりを待ち、立ち上る香りを感じながら口に運ぶ。手の込んだ料理とは異なる、食材に集中する楽しみがある。筆者の家では、価格が比較的安くなっているというのもあるだろうが、傘が大きめに開いたものを買い、それを焼いてから熱いうちに割き、スダチを搾って食べるのを常としていた。
土瓶蒸しでは、出汁に移った香りを味わえる。京都府の土瓶蒸しは、松茸に鱧、かまぼこ、銀杏を合わせ、三つ葉とスダチを添える仕立てが多い。まず汁を口に含み、それから具を味わうと、松茸そのものを食べるときとは違う香りの広がりを感じられる。小さな器の中に、季節を少しずつ盛り込む料理であり、日本料理の粋を詰め込んだようなものではなかろうか。
炊き上がりを待つ時間まで楽しみになるのが松茸ご飯だ。土鍋のふたを開けた瞬間に香りが立ち、食卓を囲む人にも秋のごちそうができたことを知らせる。米と一緒に炊いて、松茸の持ち味を一膳全体で味わえるのだ。
農林水産省の紹介によれば、傘が開いた松茸は香りが強く、松茸ごはんに向くとされる。姿の美しさだけで選ぶのではなく、料理に合う持ち味を見極める知恵なのだな、と改めて日本料理の繊細さを感じられる。
焼けば素材の歯ごたえに、蒸せば出汁に、炊けば米に魅力が広がる。旬を大切にするとは、食材を手に入れるだけでなく、そのよさが生きる食べ方を考えることでもあるということだ。
和だけでなく洋にも広がる、旬の楽しみ

松茸の楽しみ方は、和食の枠にも収まらない。オリーブオイルやニンニクを使った「松茸のパスタ」という贅沢な一品でも秋の贅沢を味わうことができる。松茸の豊かな香りをソースへ移し、麺にまとわせて味わう一皿である。
米やだしと組み合わせてきた香りを、今度は油や麺と楽しむ。食卓になじみのあるパスタに仕立てれば、松茸を使う料理の選択肢も広がる。旬の食材を、自分の暮らしに合った料理で味わうというのも、現代を生きる私たちにとって必要なことであり、旬を日常で楽しむことにもつながる。
洋食へのアレンジには、以前からの蓄積もある。日本森林学会誌の研究によると、1950年代後半から1960年代の料理書では、松茸が洋食や、なんと中華料理にも使われていたそうである。伝統的な食べ方を受け継ぐことと、新しい組み合わせを試すこと。その両方が、松茸を楽しむ文化を豊かにしてきたのである。
一方、その恵みを支える山にも目を向けたい。京都では、松の枝葉を燃料に使わなくなったことなどから松林の手入れが減り、松くい虫被害も重なって、松茸の生産量が減少した。松茸が育ちやすい環境を整える取り組みも続けられている。食卓の秋の香りは、山と人との関わりにも支えられているということなのだ。
今年のように手に取りやすい機会があれば、いつもの食卓で味わってみるのはどうだろうか。ご飯でも、土瓶蒸しでも、パスタでもよい。香りの向こうに、その年の雨や山の様子を思い浮かべる。そして、誰かと今年の秋について話す。そんなひとときに、旬を大切にしてきた日本の食文化は息づいている。
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もっと知りたいあなたへ
国立国会図書館:きのこ狩りと松茸
https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/matsutake
農林水産省:うちの郷土料理 松茸ごはん 京都府
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/matsutakegohan_kyoto.html
農林水産省:詳しく知って楽しく食べよう!おいしいきのこ図鑑
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2110/spe1_02.html
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。