あらためて出会う、唐津(3)〜フードスタイリストマロンと巡る旅・呼子〜
2日目は、呼子の朝市に行こうと決めていたので、レンタカーを借り、唐津の町を後にした。山間の旧街道は、マロンが高校時代に毎日バスに揺られて通っていた道。
「何十年もたっているのに、景色も風の香りも変わらない」と、懐かしそうにマロン。車窓から目にする民家の趣から、住む人々が静かに日々を過ごしている様子がうかがえる。

ドライブするならと地元の人に勧められた「ルートグランブルー」を走ってみる。
この道路は、唐津の海をこよなく愛した、フランス人のダイバー、ジャック・マイヨールにちなんでつけられた名前で、彼の半生をたどった映画「グランブルー」は、あまりにも有名。地元の寿司屋でよく見かけられていたというジャック・マイヨールは、唐津の海を「世界一美しい海」と称し、この美しい海とともに暮らしていた。
特に唐津から呼子までの海岸線は、リアス式海岸や透明度の高い海など、自然がつくるダイナミックな最も美しい表情をたたえている。この海は、ただ美しいだけではない。入り組んだ海岸線は、古くから漁に適した地形でもあり、小さな入り江ごとに、それぞれの営みがあった。穏やかな日もあれば、荒れる日もある。その変化とともに生きる感覚が、この土地の人の気質をつくってきたのかもしれない。
舗装された道は、走りやすく、視界に広がる空と海に吸い込まれるような解放感がある。ハンドルを握りながら、ただ前に進むだけなのに、風景が少しずつほどけていくような感覚は、東京の喧騒の中では味わえない光景。
窓を開けると、潮の香りがふわりと通り抜ける。マロンは、そんな風を受けながら、静かに外を見ていた。学生時代のこと、家族のこと、多感な子供の頃に考えていたこと——きっといろいろなことを頭に巡らしているに違いない。
多感な幼少期が今の原点
一人っ子のマロンの家庭は、少し複雑だった。祖母のもとに養子に入った父と、その妻である母。船乗りの父は家を空けることが多く、帰ってくると、血のつながらない大人たち3人が、幼いマロンをよそに、よく言い争いをしていたという。
それでも、マロンへの3人からの愛情は深かった。マロンは大人たちの顔色を感じ取りながら、どんなに激しい小競り合いがあっても、自分の世界を静かに保てる、どこか達観した子どもだった。
祖母は、小さな店を営んでいた。夏になると、かき氷やミルクセーキを出し、駄菓子も並ぶ。近所の人や港で働く人たち、さまざまな客がふらりとやってきた。幼いマロンは、その店の中で育った。祖母のそばに立ち、ときに手伝いをしながら、訪れる人たちの表情や、会話の流れを、じっと観察していたという。
客とやり取りをすること、場の空気を感じること、そのすべてを、知らず知らずのうちに、体で覚えていった。
母との思い出は海につながる。ある時、マロンが海で溺れそうになったとき、母が強く腕をつかみ、引き上げてくれた。そのときの手の強い感触は、今もはっきりと残っている。
港を出ていく父の船に向かって、いつまでも手を振り続ける母。帰りを心待ちにする日々。その感情の揺れは、多感なマロンにとってはやりどころのないものだったかもしれない。
そして再会のあと、空白を埋めるようにぶつかり合う大人たちの思い。そうしたすべてが、マロンの感性を、静かに、そして豊かに育てていった。
呼子の記憶と父の横顔

呼子は、とりわけ父との思い出が深い。
久しぶりに帰ってきた父は、港の西側に位置する殿ノ浦(とののうら)にマロンを連れていった。旅館や飲食店が軒を連ねる夜の街で、父は、どの店でも顔なじみで、女性たちや客と酒を交わし、場の中心にいた。楽しそうに話す父の表情。自慢げにマロンの頭を撫でる大きな手。たばこやウィスキーのグラス。そして、女性たちの赤い口紅や白粉の匂い。
「よく子どもだった私を連れて来てくれた。父がワクワクしている気持ちは、幼い私にもちゃんと伝わってきて、一緒に楽しくなっていた。本当に、たくさんの『美しいもの』を見たわ。男も女も、みんな綺麗で色気があった。いま私がシャンソンを歌っているのも、きっとあの頃の記憶がどこかにあるのかもしれない」
マロンの審美眼は、ここから生まれているという。料理を作りもてなす、人を楽しませる、誰かの感情に寄り添う、歌をうたう——マロンの仕事の原点は、それぞれの趣、あり方に「色気があるか?」が指針になっている。
呼子の朝市と未来への取り組み

港のほど近く、細い通りに沿って開かれる朝市は、かつては日本三大朝市のひとつにも数えられているほどの賑わいを見せたが、今は静かにこの土地の暮らしの延長にあるような、素朴な市だ。
観光のスタイルが変わり、大型バスで訪れる団体客の姿も減った。それでも、この朝市が続いているのは、観光資源ではなく、ここに暮らす人にとっての日常に欠かせない市だからだろう。買い物というよりも、顔を合わせ、言葉を交わす場所。その関係性が、この通りを支えている。江戸時代から続くと言われるこの朝市は、いまもほぼ毎日開かれ、地元の人と訪れる人が、ゆるやかに交わる場所になっている。


軒先では、イカやサザエを焼き、干物やイカの一夜干し、海藻、手作りの加工品なども販売されている。どれも派手さはないけれど、潮の香りとともに、この土地の時間がそのまま並んでいるように見える。
店に立つ人たちは、観光客に向けて声を張り上げるわけでもなく、目が合えば、自然と「おいしいよ」と差し出してくる。その距離の取り方が、自然で心地いい。
今回の旅で、マロンがとりわけ興味を示していたのが、呼子で進んでいる新しいプロジェクトだった。幼少の頃に父に連れられて見た新しい体験。マロンにとって呼子は、「新しいもの」の気づきの原点でもある。

呼子は、古くから大陸文化とつながる海上交通の要地として栄え、江戸時代には国内屈指の捕鯨基地として賑わいを見せていた。「鯨一頭で七浦潤う」といわれるほど、鯨はこの地域の暮らしと繁栄を支えてきた存在だ。
その記憶を手がかりに、いまの時代にふさわしい地域創生のかたちとして文化や産業を編み直そうとする動きが、「呼子・鯨の町興しプロジェクト」だ。「鯨」という文化を、直接的に見せるのではなく、ひとつの新しい思想として「編集」している点に特徴がある。
それは、かつて鯨とともにあったこの街の文化を、いまの時代にどう残し、どう伝えていくかという試みでもある。観光として消費されるだけではなく、滞在や体験の中で、自然に感じ取られるものへ。このアプローチは、各地で進む地域創生の中でも、ひとつの新しい方向性と言えるかもしれない。
その背景には、呼子にゆかりを持ちながらも、県外で経験を重ねてきたプロデューサーの存在がある。外からの視点が持ち込まれることで、この土地に新しい解釈や価値観が重なりはじめた。
空き家や遊休施設を活用しながら、蒸溜所「THREE」、クラフトビールの「Whale Brewing」、「呼子甚六朝市食堂」といった新しい拠点が生まれ、さらに宿泊「YOKOYA」や、海を望むサウナ施設「Whale Sauna」など、滞在そのものを楽しむための場も整えられている。それぞれは独立した営みでありながら、ゆるやかにつながり、町全体をひとつの体験として編み上げている。
従来の呼子の観光キーワードに加えて、「クラフトビール」や「アロマ蒸溜所」、「朝市食堂」、「サウナ」といった新しいキーワードが加わり、それぞれに関心を持つコミュニティや個人へと、この町の存在が静かに広がっていく。新たな好奇心とともにこの場所を訪れ、関わろうとする人が、少しずつこの町に新しい時間を重ねている。

呼子のイカを堪能
呼子といえば、やはりイカだ。玄界灘に面したこの海域は、潮の流れが速く、ミネラルも豊富。その環境で育つイカは、身が引き締まり、透明感のある美しさと、繊細な甘みを持つといわれている。


とりわけ知られているのが、「活き造り」。水槽から上げたばかりのイカを、すぐにさばき、皿に盛り付ける。透き通るような身は、まだかすかに動き、箸を入れると、コリッとした歯触りとともに、ほのかな甘みが広がる。甘口のさしみ醤油がまとわりつく味は、呼子でしか味わえないもの。
「昔はもっと大ぶりで、迫力があった。海に行くと必ずサザエの磯焼きも食べていたけれど、この感覚は東京では難しくて、やっぱりここでしか味わえないのよね」と、マロン。それは単なる「新鮮さ」ではなく、命の透明なかたちに、触れているようでもあった。
味や香りの記憶とは、不思議なものだ。忘れていたはずの時間が、ふとした瞬間に、鮮やかによみがえる。
今回の旅は、マロンにとって、とても感慨深いものだった。取材の合間、地元の古い友人たちと過ごす時間もあった。久しぶりの再会。それぞれが違う場所で、違う時間を生きてきたが、言葉を交わせば、距離はすぐに埋まっていく。
「もっと故郷に、仕事で恩返しをしたい」と話すマロンの表情は、どこか静かで、まっすぐだった。唐津の魅力を、より多くの人に知ってほしいという想いは、年々強くなる。それは、仕事の活力にも繋がっている。唐津の失われていくものと、新しく生まれていくものの両方を目の当たりにしたことで、今の自分に何ができるのかを、あらためて考えるきっかけにもなったという。
久しく会っていなかった友人たちもまた、それぞれに、家族や先祖から受け継いできたものを抱えながら、この土地に生きている。その重みを感じながら、次へと手渡していけるものは何か。
それはきっと、目に見えるものだけではなく、記憶や感覚のような、かたちのないものも含まれているのだろう。
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もっと知りたいあなたへ
唐津観光協会
https://www.karatsu-kankou.jp/
フードスタイリスト マロン オフィシャルサイト
https://www.marons.net/
※あらためて出会う、唐津(1)~フードスタイリストマロンと巡る旅・唐津~はこちらからお読みください。