海が春を連れてくる~北陸・能登に受け継がれる「春告魚」文化~
冬の海が動き始める。早春の漁港に立つ
午前4時30分。能登半島の小さな漁港はまだ暗い。
空気は冷たく、防波堤に立つと頬が痛い。だが、冬の鋭さとは違う。どこか湿り気を帯びた風が、日本海から吹いてくる。漁師たちは黙々と網を積み込み、エンジンをかける音が静かな港に響く。
「そろそろだな」
年配の漁師が海を見ながら、誰にともなく呟いた。
能登では昔から、ある魚たちが春の訪れを教えてくれる。ニシン、イワシ、サヨリ。これらは「春告魚(はるつげうお)」と呼ばれ、海水温の変化とともにこの沖へやってくる。山に咲く梅や福寿草が春を告げるように、海にも季節の使者がいる。
都会で暮らしていると、春はカレンダーや天気予報で知る。だが能登の人々は、海の匂いで、魚で、春を知る。それは何百年も続いてきた、この土地ならではの暦だった。
メバルやサヨリなど、魚が伝える春の便り

能登の春告魚の筆頭は、メバルだ。
能登では「ハチメ」と呼ばれるが、日本海側で春告魚と呼ばれる魚の代表例である。石川県や富山県の魚市場では、この魚が揚がることで春の訪れを感じるのだ。メバルは煮付けにされることが多い。
さらに、イサザも同様に能登の春の小魚として知られる。イサザは吸い物や卵とじにされて皆の口に春を運んでくる。
そして、サヨリ。
細長い体と、尖った下顎が特徴的なこの魚は、四月頃に最盛期を迎える。透明感のある身は上品な味わいで、能登では昔から「サヨリが揚がったら、田植えの準備をせよ」と言われてきた。魚が農作業のタイミングを教える。それは漁師だけでなく、農家にとっても大切な指標だった。
海水温が上がり始める3月から4月。太平洋側ではすでに桜が咲く頃、日本海側の能登ではようやく海が動き出す。この魚たちは、黒潮と対馬海流に乗ってこの沖へ回遊してくる。人間が作った暦とは無関係に、海は自然のリズムで季節を刻んでいる。
辞書の類には、春告魚=ニシンの別名、といった記載もある。また、その地方ごとに春告魚がある。
かつて北海道では「ニシン御殿」が建つほどの豊漁に沸いた時代があったが、銀色に光る体は、冬の海にはない輝きを放つ。卵の数の子も珍重されてきた。
イワシもまた、早春の海を賑わせる。
真イワシ、片口イワシ。鰯という字が「弱い魚」を意味するように、傷みやすく扱いが難しい。だからこそ新鮮なものは格別で、能登では刺身で食べる習慣がある。大量に獲れる年もあれば、まったく姿を見せない年もある。気まぐれな魚だが、群れで泳ぐ姿は春の海の風物詩になっている。
浜に立ち上る潮の香り。漁の始まりと人々の祈り
夜明けとともに、船が戻ってくる。
まだ薄暗い港に、エンジン音が近づいてくる。船が接岸すると、待ち構えていた仲買人や漁協の職員が駆け寄る。網から溢れるように、銀色の魚たちが船倉を埋めている。
「今朝はいいぞ」
漁師の一人が笑顔を見せる。冬の間、厳しい海に出続けてきた彼らにとって、春告魚の漁は一つの区切りでもある。冬の荒波に耐えた先に、ようやく訪れる穏やかな季節。魚たちはその証拠だ。
浜では女性たちが魚を選別している。サイズごとに分け、鮮度を見極め、手早く箱に詰めていく。その手つきは無駄がなく、長年の経験が滲む。潮の香りと魚の匂いが混ざり合い、浜全体が活気に包まれる。

漁港から少し離れた場所に、小さな神社がある。
能登の漁村には必ずといっていいほど、海に面した神社がある。漁師たちは出漁前に手を合わせ、無事を祈る。豊漁を願うというより、「今日も海から帰ってこられますように」という切実な祈りだ。
ある漁師はこう言った。
「海は優しいときもあれば、怖いときもある。俺たちは海に生かされとる。だから、感謝せんとな」
彼の言葉は飾り気がなかったが、重みがあった。春告魚の漁が始まるこの時期、神社では豊漁と安全を祈る祭りも行われる。海と生きるということは、常に祈りと隣り合わせなのだ。
食卓に届く春。能登の春告魚料理

漁港から運ばれた魚は、その日のうちに市場や料理店、家庭の食卓へと届く。
能登の料理店では、この時期になると「春告魚入荷」の張り紙が出る。ニシンの塩焼き、イワシの刺身、サヨリの天ぷら。どれも鮮度が命で、港に近い能登だからこそ味わえる旬の味だ。
特にイワシの刺身は、傷みが早いため、水揚げされた港の近くでなければ生では食べられない。透き通るような身は、醤油をほんの少しつけるだけでいい。口に入れると、磯の香りと微かな甘みが広がる。
「初物を食べると七十五日長生きする」
そんな言い伝えが能登にもある。だから地元の人たちは、春告魚が出回り始めると、こぞって買い求める。
ある家庭を訪ねると、おばあちゃんが孫に魚のさばき方を教えていた。
「ほら、ここに指を入れて、こうやって引くとな」
イワシは手で開ける。小さな骨を取り除きながら、おばあちゃんは昔話を始めた。自分が子どもの頃、母親からこうして教わったこと。戦後の貧しい時代には動物性のタンパク質が不足していた。当時は大量に獲れていたイワシは安価で貴重なタンパク源だったのだ。孫は真剣な顔で聞いている。
春告魚は、ただの食材ではない。季節を感じ、海の恵みに感謝し、世代を超えて受け継がれる文化そのものだ。近年は観光客も増えた。都会から訪れた人たちが、「こんなに新鮮な魚は初めて」と驚く。だが本当の価値は、写真には写らない。漁師の手の荒れ具合や、浜の女性たちの会話や、神社での静かな祈りや、家族で囲む食卓の温かさ。そういうものの積み重ねが、春告魚という文化を支えている。
海が教えてくれること。変わりゆく春と変わらぬ祈り
ただ、変化もある。
漁師たちは口にしないが、漁獲量は年々不安定になっている。海水温の上昇、潮の流れの変化。魚が来る時期もずれてきた。以前なら三月ごろになると見られたニシンが、四月になってようやく姿を見せることもある。
「海が変わってきとる」
そう呟く老漁師の表情には、諦めではなく、ただ静かな受け入れがあった。海は変わる。それも自然の一部だと、彼らは知っている。それでも、春になれば漁に出る。網を投げ、魚を待つ。神社に手を合わせ、海の安全を祈る。その営みは、何があっても変わらない。能登の春告魚文化が教えてくれるのは、自然と共に生きることの意味だ。季節は人間の都合で動かない。魚はカレンダー通りには来ない。それでも人は、自然のリズムに身を委ね、そこに喜びや感謝を見出してきた。
都会で暮らしていると、季節は背景になりがちだ。エアコンで温度を調整し、スーパーには一年中同じ食材が並ぶ。便利だが、何かが失われている気もする。
能登の漁港に立ち、春告魚を見ていると、季節を待つことの豊かさに気づく。春が来るのを、ただ待つ。それだけのことが、どれほど尊いか。
今年も、海は春を連れてくる。そしてきっと、来年も。
―――
もっと知りたいあなたへ
東京都島しょ農林水産総合センター
https://www.ifarc.metro.tokyo.lg.jp/archive/27,3532,79.html
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。