みんな違ってみんなヤダ、みんな同じでみんなヤダ
このところとあるパンクバンド※1(と、括ってよいかどうか)ばかり聴いている。中2のころから敬愛するYESの「危機」※2かてここまで聴いてへんよ。せいぜい40年で1000回くらいのもんやろう。それが日々の通勤行き帰りと食後のひとときそれぞれの時間帯ごとに必ず回転させてしまうため、このペースやと1年程度で名盤「危機」の生涯再生回数を上回る計算になる。
ギター、ドラム、ヴァイオリンという第二期U.K.※3みたいな構成に興味をそそられエディ・ジョブソンばりプレーを期待してきいてみたが、路線があまりにも違っていたため思い切り肩透かしを食らいつつ、まあただパンクなのかというとどうなのかという気もするけどだからこそパンクでいいのか!とか思案しているうちにほぼ毎日聴く状態に陥っていた。
キース・ムーン※4みたいなドラミングに清涼感と哀愁を帯びたヴァイオリンが絡みつつ楽曲が疾走し、それらを完全に無力化するくらいインパクトのある歌が乗る。(最初に言っておくけれど、これは決してレコメンドレヴューではない。あくまでもレビューとは出展を明示した上で書き手が共感や承認を得たいがための自己主張であり、そもそも余程嗜好性が合致していない限り、音楽や書物は他人からお勧めされて嗜むようなものではないと考えている。もちろん本稿もそうなので、クドいようだが「おススメの名盤紹介」ではないのでご留意いただきたい。)
ともあれ、なぜこれほど執心してヘビーローテーションしているのか、やや自己分析的に考えてみたくなった。結論から言うと、ただ聴いていると気持ちがぐらぐらする、ということに尽きる。だからまた聴く。で、ぐらぐらする。という感じなのだ。なにか理由があるはずだ。
BLACKSABBATH※5結成時、バンド側がイメージを構成するにあたり、「人は恐怖に惹きつけられることを踏まえた」という逸話も有名であるが、楽曲に触れたときに、おお!でも、ぞぞ!でも、なんでもいいけど、感情が心地よくあるいはスパイシーに刺激される要素が汎用的であればあるほど、いわゆる「売れる」ということになるのだろう。
大変失礼ながらこのバンドに関しては、某音楽配信サブスクにおいて月間リスナー4052人(2026年5月15日現在)ということなので、お世辞にも売れているとは言い難い。しかしながら1970年代生まれ氷河期世代の悲哀、金沢の曇りがちな空という追憶、陸上競技とほろ苦い青春、教育関係者にまつわるキーワード、というぼくとソングライターとの間にあるニッチな合致が、適度にシンパシーを刺激しているのだろうと思料する。
つまり、ぼくにとっては聴くほどに「せやねん、ほんまそれ!」がとめどなく押し寄せる決定版バンド、ということになっていたわけだ。とんだ僥倖に出会えたものである。
「棒」を立てていく取組み

さてさて、「犬も歩けば棒にあたる」は、行動するだけチャンス拡大という意で常用されるけれど、古来は不要不急な行動は災難にあたるという警鐘であったという。ことわざにはまあまあ誤用転じて常用になるものがあるが、とどのつまり自分らしく解釈するのがいつだって正解かもしれない。
いわゆる金子みすゞの「みんな違って、みんないい」だってうらはら、このバンドの歌詞にある「みんな違って、みんなヤダ」だってうらはら、同様に「みんな同じで、みんなヤダ」だってうらはら、必ずしも「これで確定」ということではない世界でみんな生きているし、「違い」もいいけどまあ不快、「同じ」だと安心だけどそこそこウザい、という間で揺蕩うものでもある。肝要なのは、なんかしらネガティブな事象が降りかかってきた時にどう切り替えてしまうか、ということではないかなと考えている。
だからこそ、ぼくは背中に背負える限り背負った「棒」を、いろんなところに突き立てて回ろうと思っている。「棒」が邪魔やんけ、「棒」のせいで怪我したやんけと跳ね返ってきたら、どうするか。考える。それから顔を見に行く。話をしてみる。面倒くさいけれど、「棒」を立てて回らない人生よりはよさそうに思うのだが。
そんな訳で、前回を上回り予定文字数の半分以上をマクラに使ってしまったところで本題に入ることとしよう。
誰ひとり取り残すことなく釣りを体験してもらおう

かねてより「アクセシブルな釣りもええね」と話していた木戸さん※6に、そろそろやりましょうかと連絡を入れ、2026年正月明け1発目の土曜日に「アクセシブルフィッシング」in有馬ます池※7を挙行することになった。
こちらから誘っておいてなんだが1月の有馬はえげつなく寒い。まあ3月くらいにできればいいかなという尺で構えていたが、木戸さんから「諸々知り合いにも声かけますんで、即」といういつもながら想定を超えるスピード感のレスポンスがあり、極寒の有馬へいざ乗り込むこととあいなった。ともあれニジマスの活性的にはベストシーズンなので、せっかくの機会にまさかのボウズしゅん太郎で帰宅ということは避けられそうだ。
これは結構というかむしろ最優先に大切なポイントで、こういうモデルを挙行する場合には、ある程度いい感じに達成できなければ次が無い。いかんせんお魚相手なのでこちらサイドでコントロールできないところはあるものの、事前のリサーチは周到に行って当日を迎えた。
木戸さんが連れてきたメンバーには、先天性の全盲で車椅子ユーザーの谷口さん※8もいて、釣りはやったことあるのと問うとまあ子どものころに1度くらいあるようなよく覚えてないです、ということなので、さっそくトライしてもらうことにした。
1月の子マスはペレット餌めがけて飛ぶように群がってくる。入れ食い状態でアタリはあるものの、バーブレスフック※9なこともあってうまく取り込むためにはそこそこ技術を要する。谷口さんにはいわゆる脈釣りのスタイルにて、腕に伝わるダイレクトなアタリを頼りにチャレンジしてもらった。竿先がビビビとなったら合わせて竿を引く。アタリの取り方をあっという間に掴み、子マスが面白いように釣り上がっていった。90分ほどで実に6匹もの釣果を得て、厳冬のマス釣りを満喫してもらった。
歩けばあたる「棒」

釣り上げた魚を事務所に預けておくと、唐揚げになって届けてもらえるのがアフターの醍醐味となっている。熱々の子マス唐揚げをみんなで頬張りつつなので、あれやこれやああだったこうだったという対話も弾むというものだ。

もしかしたら、日常ではあまり「釣り」というアクティビティについてやりたいとかやれるのかとか、そもそも考えることは無かったかもしれない。けれども「こんなこと一緒にやってみない?」という「棒」が立っていて、そこに偶然だろうが必然だろうが事故だろうが故意だろうがぶちあたることで、新しい局面が見えてくることもあるんじゃないだろうか。
新しい活動との出会い、新しい音楽との出会い、新しい書物との出会い、新しい仲間との出会い、そこからさらに生じてくる新しいなんかしらのために、また次の「棒」を立てて回ろうと企んでいる。
※1 1992年に結成されたジョニー大蔵大臣(ボーカル・ギター)、セクシーパスタ林三(ヴァイオリン)、アナーキー吉田(ドラム)による3ピースパンクバンド「水中、それは苦しい」
※2 イングランドのロックバンド「YES」が1972年に発表した5作目のスタジオアルバム(原題:Close to the Edge)
※3 1977年に結成されたイングランドのロックバンドで、第2期からはヴァイオリン、ベース、ドラムという編成になった
※4 1964年に結成されたイングランドのロックバンド「THE WHO」の初代ドラマー
※5 1968年に結成されたイングランド・バーミンガムのロックバンドで、後のハードロック・へヴィメタルに多大な影響を与えた
※6 NPO法人須磨ユニバーサルビーチプロジェクト並びに就労継続支援B型事業所Base代表、木戸俊介氏
※7 神鉄観光株式会社が経営するニジマス釣り場
※8 就労継続支援B型事業所Baseメンバー、谷口魁人氏
※9 いわゆる「返し」のない釣り針
―――
もっと知りたいあなたへ
NPO法人須磨ユニバーサルビーチプロジェクト
https://sumauniversalbeach.com/index.html
有馬ます池
https://www.arima-masuike.jp/
池谷の実践note
https://note.com/coe_access_0117