2025.7.25

日本の夏に欠かせない!全国各地の夜空を煌びやかに彩る花火大会鑑賞のススメ

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夏といえば、海水浴やスイカ割り、かき氷に麦わら帽子——それぞれに思い浮かべるものがあるはず。その中には「花火」も含まれるのではないでしょうか。子どもの頃に公園や広場などで、線香花火や手持ちの花火を楽しんだ方も多いかもしれません。さらに、浴衣や甚兵衛を着て見に行く「花火大会」を夏の思い出に挙げる方もいるでしょう。今回は、そんな日本の夏を彩る花火大会について考察してみました。

花火の起源と日本での花火大会の始まり

花火の起源は、紀元前の中国やイタリア・ローマやギリシアで使われた狼煙(のろし)にあるといわれていますが、現在の形に近いものとしては、唐代に中国で発明された火薬を使った爆竹と伝わっています。見て楽しむ花火は、中世イタリアで、キリスト教の祭りに仕掛け花火のようなものが登場したのが最初だとされています。日本には鉄砲の伝来とともに火薬も持ち込まれましたが、美しい花火に利用されるまでにはもう少し時間を要しました。

それでは、日本における現在のような花火大会の始まりはどのようなものだったのでしょうか。そのルーツは、「隅田川花火大会」にありました。江戸時代の1732年(享保17年)、長雨と冷夏によって害虫が発生し、稲作に大きな被害が出ました。飢饉が発生し、全国で約200万人もの餓死者を出したといわれ、江戸では打ちこわしなどの暴動も起こってしまいます。

隅田川花火大会浮世絵のイメージ画像

当時の将軍は第8代の吉宗でした。彼は、翌年の1733年(享保18年)、隅田川の川開きの日に「水神祭」を執り行い、飢饉での犠牲者を悼み悪霊退散を願い花火を打ち上げました。これが現在の花火大会の由来といわれますが、華やかな現代の花火大会とはまるで違い、鎮魂のためのものだったのです。

花火は夏の夜空を飾り、短い瞬間に美しさを凝縮するところに、日本人の美意識が反映されています。無数の光が空を染め上げる様子は、まさに「一瞬の美」を象徴し、またその儚さが日本人の心を捉えて離しません。

花火大会は、現在では鎮魂や供養の意味を超え、その美しさで人々を魅了しています。暑い夏を吹き飛ばし、その地域に人々を集結させる重要なイベントとなっています。大きな花火大会は、地域社会や観光にも大きな影響を与えています。

日本が誇る「和火」〜花火づくりの粋〜

スカイツリーと屋形船が写る隅田川花火大会の画像

花火の製作には高度な技術を要し、その精緻な技術は数百年の歴史の中で培われてきました。日本の花火は「和火」として世界的に評価され、色彩や形状、音などすべてにおいて細かな工夫が施されています。花火づくりには、職人の手による繊細な技術が不可欠なのです。

花火といえば、「たまや〜、かぎや〜」の掛け声が有名ですが、現在も残っているのは「かぎや」の鍵屋のみです。「たまや」は鍵屋からの暖簾分けでしたが、一代でなくなってしまいました。江戸時代初期1659年に創業された鍵屋は第15代目まで続いており、現在では100人規模の花火師を抱え、花火大会の総合プロデュースを手掛ける会社となっています。

そのほか著名な人物として、野村花火工業の野村陽一さんが「伝説の花火師」として知られています。野村さんは、秋田県大曲市と茨城県土浦市の花火大会で行われる競技会の総合優勝者に授与される名誉ある賞「内閣総理大臣賞」を20回以上も受賞しているのです。これはその他の花火師が数回程度しか受賞していないことからも、抜きん出た成績ということがわかりますね。現在も夜空を彩る美しい花火を打ち上げ続けており、その技術と演出は高く評価されています。

花火の技術革新も目覚ましく、近年では「音楽花火」や「デジタル花火」など、伝統的な技術に加えて、テクノロジーを駆使した新しい表現方法が登場し、ますますその魅力を増しています。

独断による必見花火大会の特色と見どころ

大曲の花火大会画像

長岡花火大会(新潟県長岡市)

花火大会といえば外せない長岡花火大会は、1945年の長岡空襲で失われた命を悼み、平和を祈る意味を込めて始まった歴史ある大会で、現在も「慰霊と平和の祈り」と題された花火から始まります。こちらも鎮魂の意味があるんですね。日本三大花火大会に数えられるその規模と美しさは圧巻で、特に「フェニックス花火」は、その迫力と感動で観客を魅了します。

長岡花火は、地元経済や観光に与える影響も大きく、2024年の有料観覧者数は、各日17万人、合計34万人と発表されました。これは、過去最多の集客数で、経済効果は新潟県内で146億6100万円、全国に波及した額まで含めると、331億8100万円になると試算されています※。

※経済効果.NETより(https://economicimpact.net/2024/08/16/240816/

隅田川花火大会(東京都墨田区)

東京を代表する花火大会であり、江戸時代から続く歴史を誇りますが、現在の名称になったのは意外と最近、1978年(昭和53年)のこと。それまでは「両国の川開き」と呼ばれ、1961(昭和36年)までは打ち上げ場所も両国橋上流でした。その後交通事情の悪化などにより開催ができなくなり、1978年に名前を改めて再開となったのでした。

隅田川の両岸から打ち上げられる花火は、東京タワーやスカイツリーとのコラボレーションで、都会の夜景と花火が美しく調和します。いうまでもなく観客の数も多く、大会自体が地域活性化にも貢献しており、隅田川周辺の飲食店や宿泊施設にも経済的な恩恵をもたらしています。

大曲の花火(秋田県大仙市)

正式名称は「全国花火競技大会」。秋田県大仙市の雄物川河川敷運動公園で開催される大曲の花火は、歴史的には1910年(明治43年)に旧大曲市に鎮座する「諏訪神社」の祭典余興として始まったといわれています。現在のような全国規模の競技大会としての形となったのは1950年以降で、全国の花火師が集まる「全国花火競技大会」としても知られています。技術を競い合う花火師たちの腕が光り、その競技の様子も大きな見どころですが、この大会には全国150社ほどある花火製造会社の中から、30社のみしか出場できません。花火の精緻さと美しさは群を抜いており、観光資源としても重要な役割を果たしています。今年2025年は、第97回の大会として8月30日の開催が予定されています。

花火大会の楽しみ方と注意することは

花火を鑑賞する人の画像

花火大会を楽しむためには、事前の準備は欠かせません。観覧席を確保できるチケットを入手できればベストですが、会場周辺での観覧を考える場合には、交通規制や混雑状況をチェックしておくことが大切です。多くの観客が集まるため、座席や場所取りは競争が激しくなります。

また、安全面にも配慮が必要です。昨今ではゲリラ豪雨や雹が降るなど、天候の急変による事故や被害が起きています。雨の後に気温がぐっと下がることもあり、雨に濡れた着衣が冷えて低体温症を引き起こすことがあります。また、雨が降らない場合には、暑さが大敵です。夜間とはいえ、熱中症予防のために水分補給を忘れずに行い、長時間の観覧には十分注意しましょう。

食事や飲み物も重要な楽しみの一部で、地元の屋台や軽食を楽しみながら観覧するのも、花火大会の醍醐味といえますが、環境への配慮も忘れずに。

花火大会は、単なる観光イベントにとどまらず、地域の文化や歴史を知り、地域活性化に貢献するものでもあります。それぞれの大会には独自の特色と魅力があり、地元の人々と観光客が一体となって楽しむことができます。花火の美しさとその儚さに触れながらも、地域とのつながりがより深まる体験が夏の花火大会といえるのではないでしょうか。

今年の夏も、素敵な花火を楽しめますように。

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もっと知りたいあなたへ

公益社団法人日本煙火協会
http://www.hanabi-jpa.jp/
長岡花火(公式ウェブサイト)
https://nagaokamatsuri.com/
隅田川花火大会(公式ウェブサイト)
https://www.sumidagawa-hanabi.com/
大曲の花火・全国花火競技大会(公式ウェブサイト)
https://www.oomagari-hanabi.com/

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