熊本地震〜復興への10年と地震大国に住んでいる私たちが考えるべきこと〜
熊本県について、あなたはどのくらいの知識を持っているだろうか。
熊本県は九州の真ん中あたりを占め、東は天草を含んで海に面し、北部には阿蘇、西部から南部球磨地方は九州山地を抱える、「海も山も豊か」な県だ。豊かな自然に恵まれ、農業産出額が全国5位(2020年)、野菜の産出額は九州1位という農業県でもある。
さらに、漁業についても有明海、八代海、天草灘の豊かな海に恵まれ、多様な魚の養殖や、海苔の養殖も盛んだ。特に車海老と真鯛の養殖については全国屈指の生産量を誇っており、農業とならび漁業も大切な産業となっている。
NHK朝の連続テレビ小説、いわゆる朝ドラで、先日2026年の3月で終了した「ばけばけ」で主人公のモデルとなった小泉セツとその夫であるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も熊本市内に居を構えていた。全国の多くの人にとって、このドラマで(メインの舞台は島根県松江市だったとしても)また、熊本がぐっと身近になったのではないだろうか。
2つの大地震に続けて襲われた大地

そんな熊本は、10年前の2016年4月14日午後9時26分、熊本県熊本地方を震源にマグニチュード6.5、最大震度7を観測する大地震に見舞われた。さらに、28時間後の4月16日午前1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震源にしたマグニチュード7.3、最大震度7の地震が起きた。
地震の仕組みや、前震だ本震だ、といったような科学的なことについて筆者は明るくないため、その点については細かく言及はできない。いずれにせよ、観測時代(科学的な観測データが残っている時代)のみならず、歴史時代(古文書などから読み解くもの)へと遡っても、九州地方で起こった大地震としては未曾有のものであることは間違いないのだ。もちろん地震の強さからも同様である。
それより5年前の2011年に東日本大震災を経験した身として、地震の恐ろしさは想像に難くない。東日本大震災では、地震そのものの力も強大ではあったが、津波や原子力発電所の問題など、地震に起因するその他の要素も大きかった。熊本の場合は、津波の心配はすぐに消失したものの、揺れが引き起こした崩落などの災害は当然大きくあった。
思い出すことの辛い記憶にはなるが、熊本県内でこの震災における直接の死亡者は50名、その後の日々に災害関連死とされた方々は2025年4月現在で275名とされている。住家被害は全半壊、一部破損を合計し198,385棟であった。避難者は最大で18万人を超えたが、7カ月後の11月には最後の避難所が閉鎖となった。
個人的な話になることをお許しいただきたいが、筆者の縁者は熊本県に居住しており、震源地とは少し離れた南部の町ではあるものの、やはり非常に大きな揺れを感じたそうだ。戸棚のガラスコップが落ちて割れたり、テレビボードに飾ってあった写真立てが倒れたりするなどの小規模な被害を受けたと後に話していた。幸いなことに人的な被害はなく、親族としては安心したものの、余震が続き不安な日々を過ごしていたようである。
生々しい爪痕が各所に

美しい城として名高い熊本城では、石垣が崩れ、国の重要文化財に指定されている長塀が80mに渡って倒壊、同じく国重要文化財の東十八間櫓、北十八間櫓も倒壊、崩落した。その他に大小天守も被災してしまった。映像で崩落した石垣や、かろうじて支えられている櫓などを見た方も多くいるだろう。
筆者も、発災4カ月後の夏に親族の家を訪れた際に熊本城の横を通りがかったが、崩れた石垣や建造物、その下の剥き出しになった地盤、無造作に転がった数々の巨石を自分の目で見て驚きと悲しみを覚えた。前年に、久々に熊本市内へ出かけて、天守を惚れ惚れと眺めたことが嘘のように思える惨状だったからだ。
また、実際に見に行ったわけではないものの、若い時分に訪れた阿蘇のそこかしこで、大きな被害が出ていることを知り、特に記念写真を撮った思い出のある阿蘇大橋が崩落して大学生が命を失ったことや、何度も参拝した阿蘇神社の歴史を感じる立派な楼門と拝殿が全壊したことなど、言葉にするのは難しい感情を胸に抱いた。
阿蘇くまもと空港から親族の家へ向かう道では、人々は一見、普通の生活を取り戻したように見えていた。しかし、家々の屋根にはところどころブルーシートが掛けられていたり、最近取り壊したような塀の跡があったり、新設されたプレハブの仮建物があったりと、不自由な生活を余儀なくされている人たちがまだ多くいることが察せられた。
親族の家がある八代市の市役所本庁舎は、亀裂が入り倒壊の恐れがあるとのことで、使用を中止して役場機能を最大で14カ所の支所に移すという措置をとっていた。建物はまだ普通にそこに建っているのだが、立入が禁止され、建て替えがなされるという話を後に聞いた。無人の庁舎の佇まいは、「震源地から離れたこの場所でもこれだけの被害が出たのだ」と実感せざるを得ない光景だった。2022年にモダンな新庁舎が落成したが、あの時の気持ちは今でも忘れられない。
復興への10年

発災から7カ月後に避難所は閉鎖され、避難者がいなくなったとはいうものの仮設住宅は継続し、熊本県は震源地近くを中心に依然として大きな被害の残る被災地であった。
熊本県は早期の復興に向け、2016年(平成28年)内に「平成28年熊本地震からの復旧・復興プラン」を策定し、「くらし・産業・交流」の3本柱で段階的な再建を進めてきた。
初期は応急仮設住宅の整備やインフラ復旧に注力し、その後は恒久住宅への移行や地域産業の再生へと軸足を移した。
象徴的なのはやはり、被災した熊本城の大規模復旧で、全国からの寄付を募るなどして、天守閣は2021年に公開を再開。その美しい姿で観光の回復を牽引している。また、寸断された阿蘇大橋に代わる「新阿蘇大橋」は2021年に開通し、地域交通と物流を回復させた。
住宅面でも災害公営住宅の整備が進み、多くの被災者が恒久的な生活基盤を取り戻している。さらに農業では、被害を受けた農地の復旧とともにスマート農業の導入が進み、単なる復旧にとどまらない発展的再生が図られた。こうした具体的成果の積み重ねにより、熊本は「創造的復興」を体現し、災害からの再生モデルとして国内外に示されている。
こうしてまとめてしまえば、数行、数百字になってしまうが、その背後にはたくさんの人の知恵や努力があったに違いない。たくさんの我慢や苦難もそこにはあっただろう。しかし、震災後10年を迎えた熊本は、現在、元気に復興して国内外からの多くの観光客を迎え入れ、農業県として確かな品質の農産物を産出している。
熊本は10年で、復旧・復興を成し遂げ、さらに未来に向かって飛躍を始めているのだ。
「自分ごと」として考えることの大切さ

私たちが住む日本は、常々言われているように「地震大国」である。その上、昨今の気候変動の影響を受けてか、豪雨による災害や、未だ記憶に新しい大規模な山林火災などの自然災害に多く見舞われている。自然災害は止められないものではあるが、予測できるもの、被害を大きくしないように対策できるものもあるだろう。
家庭での食料や生活用品の備蓄、非常持ち出し袋や充電器等の準備はすぐにでも取り掛かれることだ。現代人の生活には欠かせないスマートフォンはライフラインともなってくるため、電池の確保は優先度も高くなるだろう。食料はロングライフ食品の購入やローリングストックを意識的に行うことなども良い。
皆さんは、自身の住む地域の震災救援所はどこか知っているだろうか。いつ誰が開設し、自分はどこに行けば良いのかを把握している人は、残念ながらほんのわずかしかいないのが現状である。
筆者は恥ずかしながら、子どもの通う学校が指定避難所であり震災時の救援所となることを知らなかった。各自治体では避難所マニュアルといったものを必ず用意しており、ホームページなどで公開されている。いったいどのように運営されるのかといったことを学んでおいて損はない。実際に被災した場合、各避難所に役所からの人がやってくるのはヘタをすると1週間後、などということは起こり得るし、「在宅避難」が推奨されてもいる。避難所に行ったとて何もない、ということもある。
筆者の記憶にある限りでさえ、阪神淡路大震災以降、数々の大災害に見舞われてきた日本。大きな打撃を受け、たくさんの傷あとや悲しみが残されたが、それでも人々は前向きに立ち向かい、復興を成し遂げてきた。各地で当事者を支える組織や仕組みができ、また行政の弛まぬ努力もあった。海外からの温かい援助や祈りにも支えられた。
今後は、予防できるものや準備できることにも目を向け「いつか起こる日」に備え、過去の事例を教訓として「自分ごと」として災害を捉えて向き合う必要がある。
KURAFTでは、熊本に限らず災害復興への支援のまなざしを忘れず、同時にこれからの「防災」についても、さらに意識を高めていきたいと考えている。それらの視点からの発信を変わらず続けることを、KURAFTとも関係の深い熊本で起きたあの地震から10年を迎える今、改めて記しておく。
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もっと知りたいあなたへ
熊本県・熊本地震10年特設サイト
https://www.pref.kumamoto.jp/site/h28kumamoto-earthquake/
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。