日本の夏を味わう楽しみ〜土用の丑の日とうなぎの文化に迫る〜

今年も梅雨の気配はあっという間にとおりすぎ、6月から容赦なく暑い日が続いている。こう暑いと、熱で体力を奪われ、ついつい冷たいものばかり口にしてしまい、気がつけば食欲も減退。夏バテ気味の人も少なくないだろう。
日本の夏の風物詩ともいえる、代表的な食べ物のひとつが「うなぎの蒲焼」。特に土用の丑の日にうなぎを食べて精をつける風習は、今も受け継がれている。
土用の丑の日に隠された、季節と暮らしの知恵
「土用の丑の日」―― この少し不思議な響きの言葉には、古い中国の思想や日本の神事が重なり合った、独特の季節感が詰まっている。
「土用」とは、中国から伝わった陰陽五行思想に由来する言葉。五行とは、木・火・土・金・水の五つの要素が、自然界のすべてを動かしているという思想で、四季にもそれぞれ対応が割り当てられている。春は木の気、夏は火、秋は金、冬は水。そして土は、季節の変わり目をつなぐ大事な役割を持つとされる。土の気には、育てる力、変化を調整し、保護する働きがあると考えられてきた。
夏から秋に移る直前の「夏の土用」は、立秋の前、およそ18日間がそれにあたり、一年で最も暑さが厳しくなる頃とされる。その期間に干支(えと)で「丑(うし)」に当たる日が「土用の丑の日」というわけだ。
※ちなみに2025年度の土用の丑の日は、土用期間(夏) 2025年7月19日〜8月6日に、 一の丑 7月19日、二の丑 7月31日の2回訪れる。
土の神様と、心を整える静かな余白
昔の人は、この時期に体調を崩しやすいことを経験から知っていて、「丑の日に「う」のつくものを食べると夏負けしない」と信じてきた。うなぎ、うどん、梅干し――どれもこの習わしの一例だ。

土用は神事の面でも特別な時期とされてきた。「土の気が強まる期間だからこそ、土を動かす作業は控えるべきだ」という考えが古くから伝わる。たとえば家を建てるための基礎工事や引っ越しなどは、この期間を避けるのが縁起が良いとされる。土の中には「土公神(どこうしん)」という神様が宿っていると考えられ、土を動かすことで神様の怒りに触れ、災いを招くともいわれてきた。
つまり、こうした古い知恵を現代の生活に置き換えるなら、この「土用」という期間は、土の神様に敬意を払いながら自分自身をリトリートするための日だともいえる。いつも前へ進もうとする心を少しゆるめて、大きなことを決めたり動かしたりするのはひとまず置いておく。体と心を整えるための静かな余白にする。そんなふうにリセットのひとときを持つことが、現代を生きる私たちにとっても大切な知恵ではないだろうか。
平賀源内が仕掛けた、江戸の知恵とコピーの力

でも、なぜ「うなぎ」だったのか。その答えの一つが、今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」でも話題の江戸時代の発明家であり、現代でいえば天才コピーライターのような存在でもあった平賀源内の逸話にある。夏の暑さでうなぎの売れ行きが落ちて困っていたうなぎ屋が、源内に相談したところ、「本日丑の日」と看板を立てるよう勧めたという。これが評判となり、江戸中に「土用の丑の日にうなぎを食べる」という風習が定着した。当時の人々が、うなぎの滋養強壮効果を肌で感じていたことも、この習慣を後押ししたのだろう。二百年以上たった今も、多くの人が何の疑いもなく「丑の日にはうなぎを」と口にするのだから、平賀源内の言葉の力は本当に驚くべきものだ。
地域ごとに異なる、うなぎの豊かな味わい
興味深いのは、うなぎの食べ方が地方ごとに大きく異なる点だ。江戸では「背開き」にして白焼きにし、一度蒸してから甘辛いタレでふっくらと焼き上げる。武士の町だった江戸では、「腹を割く」=切腹を連想させるため、背から包丁を入れるのが習わしとされた。

一方、商人の町・大阪や京都では「腹開き」。腹を割って本音を語ることを美徳とする文化があり、縁起を担ぐ必要がなかった。関西では蒸さず、炭火で直接焼き上げる「地焼き」で、香ばしさと脂の旨味を存分に楽しむスタイルが根づいている。
さらに地方に目を向けると、その土地ならではの個性的な食べ方がある。
たとえば名古屋の「ひつまぶし」。細かく刻んだうなぎをご飯にのせ、薬味や出汁をかけてさまざまな味の変化を楽しむこの料理は、明治時代に名古屋の老舗店「あつた蓬莱軒」が考案したとされる。一膳で何度も味わいが変わる、商人気質あふれる食べ方だ。
九州・福岡県柳川市では「せいろ蒸し」。うなぎの蒲焼をご飯と一緒にせいろに入れ、蒸して味わうこのスタイルは、うなぎの旨味がご飯に染み込む格別の一品。江戸時代、柳川藩の御用料理だったともいわれる。

料亭文化や茶懐石の影響を受けている京都では、うなぎをそのまま食べるのではなく、蒲焼をだし巻き卵で包んで焼いた「うまき」が生まれた。明治・大正期になると、祇園や先斗町の花街には川魚料理専門の店が軒を連ね、「鰻の蒲焼」「うまき」「うざく」を三種の肴として供するのが定番で、芸妓や旦那衆に愛されたという。今では、蒲焼丼に大ぶりのだし巻き卵が覆いかぶさる「きんし丼」が、京都でしか味わえない独特の鰻丼になっている。

文学・落語に描かれるうなぎの情景と、うなぎが彩る旅情を感じる
昔から小説や落語の世界でも、うなぎは庶民の贅沢、そして夏の味覚としてしばしば描かれてきた。
夏目漱石の「吾輩は猫である」では、うなぎの蒲焼の香ばしい匂いに惹かれる猫の姿が印象的だし、池波正太郎の「鬼平犯科帳」では、主人公の長谷川平蔵が捜査の合間に部下と連れ立ってうなぎ屋に立ち寄り、熱々の蒲焼を肴に酒を酌み交わす場面が何度も描かれている。江戸の町に漂う濃いタレの香りと、ふっくら蒸し上げた蒲焼の滋味が、長い緊張をほどくささやかな安堵のひとときとして印象的だ。
また、落語の「鰻の幇間(ほうかん)」でも、太鼓持ちが旦那にうなぎを奢らせようとして逆に払わされるオチが語られる。うなぎがいかに高級で特別な存在だったかを物語る一席だ。
暑さの厳しいこの季節、うなぎを食べるという行為は単なる食事を超え、日本人の暮らしの知恵や文化の記憶に深く根ざしている。今では、当たり前にさまざまな食べ方が体験できるが、この時期に旅をする機会を作って、地域ごとのうなぎの味わいをぜひ試してほしい。一口ごとに、その土地の風土や人々の暮らしが感じられ、格別な旅の思い出になるはず。
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もっと知りたいあなたへ
農林水産省「うちの郷土料理」
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_24_tokyo.html
日本養鰻漁業協同組合連合会
https://www.unagi-nichimanren.or.jp/