
「富山といえば薬だよね?」東京に来てから、同級生によく声をかけられました。地元にいた頃は特に意識していなかったのですが、少し調べてみたところ、歴史と伝統のある産業だと分かりました。そこで今回は、「越中富山の薬売り」について深掘りしてみました。現代にまでつながる、まさに日本が誇るべき貴重な文化だと改めて感じました。
置き薬の始まり:信頼を築いた先人の知恵
その起源は約350年前の江戸時代初期に遡ります。加賀藩の御用を務めていた富山の薬種商・前田正甫(まえだまさとし)が、藩主の命で江戸へ参勤した際、腹痛を起こした大名に、持参していた反魂丹(はんごんたん)を分け与えたことが始まりといわれています。その効き目に感銘を受けた諸大名から、ぜひ富山の薬を分けてほしいという要望が相次いだのだそう。

しかし、当時の交通事情では、必要な時にすぐに薬を届けることは困難でした。そこで正甫は、あらかじめ各家庭に薬を置いておき、必要に応じて使ってもらうという画期的な方法を考案しました。これが「置き薬」の始まりといわれています。
置き薬の精神は、単なるビジネスモデルを超え、人と人との信頼関係の上に成り立っていました。「先用後利(せんようこうり)」、つまり先に薬を使ってもらい、後から代金をいただくという考え方は、顧客の立場に立った、誠実な商いの証です。この信頼こそが、越中富山の薬売りが全国に広がり、長く人々に支持された最大の理由だったのでしょう。
全国へ広がる越中富山の薬売り:独自の販売戦略と文化
越中富山の薬売りは、どのようにして全国へと販路を拡大していったのでしょうか。彼らは、厳しい冬の農閑期を利用して、全国各地を行商しました。重い柳行李(やなぎこうり)を背負い、時には険しい山道や雪道を歩き、一軒一軒の家を訪ねていったそうです。

彼らの販売戦略も独特でした。単に薬を売るだけでなく、各地の風習や言葉を学び、地域の人々とのコミュニケーションを大切にしたのです。旅先で得た新しい知識や噂話を各地に伝え、文化交流の一翼を担っていたともいえます。また、子どもたちには薬のおまけとして、紙風船やメンコなどを配り、親しみやすさを演出しました。これらの工夫が、地域の人々との間に深い信頼関係を築き上げたのでしょう。
置き薬は、薬を売るという経済活動に留まらず、人々の生活に深く根ざした文化として発展しました。各家庭に置かれた薬箱は、一種の安心の象徴であり、薬売りの訪問は、地域の人々にとって楽しみの一つでもあったのではないでしょうか。
しかし、明治時代以降、近代的な医薬品販売制度が確立されるにつれて、置き薬の形態は徐々に変化していきます。それでも、顧客との信頼関係を重視する精神は、富山の医薬品業界に脈々と受け継がれていくことになります。
近代化と製薬業の発展:置き薬の精神が息づく現代
富山県には、古くから薬草が豊富に自生しており、薬の製造に適した環境がありました。また、越中富山の薬売りによって培われた薬の知識や販売ルートは、新たな医薬品産業の発展の土台となりました。

現在、富山県は、ジェネリック医薬品の生産額で全国トップクラスを誇るなど、日本の医薬品製造において重要な役割を担っています。多くの製薬会社が県内に拠点を置き、高度な技術と厳しい品質管理のもとで、さまざまな医薬品を製造しています。
この背景には、単に地理的な条件や歴史的な経緯だけでなく、越中富山の薬売りの時代から受け継がれる「人々の健康に貢献したい」という強い思いがあるのではないでしょうか。置き薬を通じて築かれた顧客との信頼関係、そして何よりも「良質な薬を届けたい」という職人気質が、現代の富山の医薬品製造業にも息づいていると感じます。
超高齢社会となった日本において、ジェネリック医薬品の重要性はますます高まっています。富山県の製薬会社は、その需要に応えるべく、高品質で安価な医薬品の安定供給に努めています。
信頼と革新:未来へ繋ぐ富山の医薬品産業
富山県の医薬品産業は、過去の栄光に甘んじることなく、常に革新を続けています。伝統的な製薬技術に加え、最新の研究開発を取り入れ、より効果的で安全な医薬品の開発に取り組んでいます。

グローバル化にも対応し、長年培ってきた品質管理のノウハウを活かして、海外市場への展開も積極的に進め、世界の人々の健康に貢献することを目指しているのです。
越中富山の薬売りの時代から変わらない「信頼」の精神と、時代の変化に対応する「革新」の姿勢。この二つが、富山県の医薬品産業を支える大きな力となっています。
置き薬というユニークなシステムから始まった富山の医薬品の歴史と、そこで培われた精神は、現代の医薬品製造業にしっかりと受け継がれ、未来へと繋がっています。
人々の健康を願い、誠実に薬を届ける。その原点は、いつの時代も変わることはありません。富山県の医薬品産業は、これからもその精神を胸に、社会に貢献し続けていくことでしょう。
今回、改めて富山の薬売りの歴史を深く知ることができ、なぜ富山が製薬で有名なのか、その秘密を学ぶことができました。単なる商売ではなく、人との繋がりや信頼を大切にしてきたこの「置き薬」の文化は、富山県だけでなく、日本全体に伝わるべき貴重な文化だと強く感じています。
東京で暮らす中で、改めて地元の素晴らしい伝統に気づかされ、この越中富山の薬売りの精神が、これからも大切に受け継がれていくことを願っています。
そして、これから薬を服用するときには、きっと地元を思い出すに違いなく、同時に富山県出身者として誇らしい気持ちにもなることでしょう。
ライター:中央大学 総合政策学部 樋口
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もっと知りたいあなたへ
一般社団法人 富山県薬業連合会
https://www.toyama-kusuri.jp/ja/index.html
一般社団法人 全国配置薬協会
https://www.zenhaikyo.com/index.html