四季が織りなす日本の雪景色~雪とともに生きる新潟県十日町市~
日本列島は、南北に長く連なり、世界でも稀に見る豊かな四季の移ろいを肌で感じられる国です。春の桜、夏の緑、秋の紅葉、そして冬の雪景色。それぞれの季節で特色がありますが、なかでも冬の雪は、日本の風土、文化、生活に深い影響を与える重要な自然現象であり、実は国土の約半分が「豪雪地帯対策特別措置法」に定められた豪雪地帯に指定されています。
今回、その豪雪地帯の中でも特に積雪量が多く「特別豪雪地帯」に指定されている新潟県十日町市(とおかまちし)に焦点を当てます。この地域は、旧松代(まつだい)町や旧松之山(まつのやま)町といった山間部を含め、総称して越後妻有(えちごつまり)と呼ばれ、その歴史と風土は、雪によって形作られてきました。
十日町市の暮らしから、雪がもたらす途方もない試練と豊かな恵み、それに対処してきた独自の文化や知恵、そして雪を最大の地域資源としていかすための現代的な取り組みを深く探りながら、十日町市の事例を通じて、「雪との闘い」から「雪との共生」へと進化する日本の確かな歩みについてご紹介します。
雪がもたらす試練:雪下ろしと「雪中過疎」の現実

特別豪雪地帯では、冬の間、生活を守るため一日も休めない雪との攻防が繰り広げられます。十日町市では気象庁の公式観測史上最大として3.9メートル(1981年)の積雪を記録していますが、それ以前の記録では4.25メートル(1945年)に達したというデータ(国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所より)も残っており、その積雪規模は文字通り「桁違い」の圧倒的なものです。さらに、短時間で大量に雪が降ることも珍しくなく、1日の最大降雪量が1メートルに達する年もあり、瞬く間に生活道路を閉ざしてしまいます。
豪雪地帯における雪かきは、単なる「季節の作業」ではなく、住民の生活を維持するための終わりのない防衛戦です。夜を通して積もる雪は、早朝、生活の再開を阻む「白い壁」と化し、住民は出勤前に車を掘り出し、道路まで雪の回廊を切り拓かなければなりません。
そして、幹線道路では、1日のうちに除雪車が何度も往復して雪を排除しますが、昼間の降雪や除雪車による排雪は、帰宅後にも重く固い雪の塊という形で「第二の除雪戦」を強います。十日町市の冬は、住民が1日を通して何度も除雪機やスノーダンプ、スコップを握り、文字通り雪をどかすために生きているとも言える過酷な現実なのです。

なお、この地方では「雪かき」のことを「雪堀り」といいます。この表現は、除雪がただ雪を払いのけるだけでなく、雪を文字通り掘り進んで道や生活空間を確保するという、その作業の本質的な厳しさを表しています。余談ですが、上京して雪堀りが標準語ではないと知り衝撃を受けたのは、今は昔の話。
この「雪との闘い」は、地域社会に多大な経済的負荷を強いています。十日町市のような特別豪雪地帯の自治体にとって、生活路を確保するための除雪費用は、毎年避けることのできない巨額の歳出です。年間の降雪量によっては、当初の予算を大幅に上回る追加補正が必要となることも珍しくなく、この恒常的なコストは、地方自治体の財政を圧迫し続ける深刻な課題となっています。
一方で、年によっては気候変動の影響による雪不足という新たな試練にも直面しています。雪は十日町市が誇る水資源の源であり、十分な積雪がないと、春以降の農業用水や生活用水の確保に影響が出かねません。また、スキー場や雪まつりなどの観光産業にも打撃を与えており、雪が「ありすぎる試練」と「なさすぎる試練」の両方に対応しなければならない状況が生まれています。
雪国伝統の継承:日本遺産に息づく暮らしの知恵と工夫
豪雪地帯に暮らす人々は、数百年以上にわたり、雪を自然の一部として受け入れ、独自の知恵と工夫をもって生活を守り、文化を築いてきました。
動物や植物の動きから天候を予測する「観天望気(かんてんぼうき)」。有名なものに、「カマキリが高いところに卵を産むと、その冬は大雪になる」というものがあります。これは、雪に埋まらないよう、カマキリが本能的に産卵位置を変えるのではないかという長年の観察と、そこから雪の量を推し量ろうとした人々の想像から生まれた言い伝えです。
科学的な気象観測技術がない時代において、農作業や冬支度の目安として役立ったこともあるでしょう。しかし、地球規模の気象変化や地域特有の要因があるため、残念ながらこれらの言い伝えが必ずしも当たるわけではなく、外れることも多々あります。それでも、自然と向き合い、季節のわずかな変化を敏感に察知しようとする、雪国の人々の真摯な姿勢が伺えます。

そして、雪国における伝統的な家屋は、雪に耐え、雪を処理するための工夫の結晶です。例えば、十日町市中心部にも見られる雁木(がんぎ)は、家と家をつなぐ庇付きの通路で、住民が雪に降られることなく移動し、交流できる空間を提供してきました。
特に豪雪に見舞われる地域では、積もった雪や屋根から下ろした雪によって玄関や窓が埋もれてしまうのを防ぐため、高床式(こうしょうしき)の家屋へと変化を遂げました。この構造では、1階部分を車庫や倉庫といった積雪の影響を受けにくい空間とし、生活空間や玄関を2階以上に設けます。これにより、雪がどれだけ積もっても、2階の玄関から外に出ることができるよう工夫されています。
また、雪中での生活を支える織物文化や、天然の冷蔵庫である雪室(ゆきむろ)を利用した貯蔵・熟成といった「利雪」の知恵も継承されてきました。
この十日町市の雪国特有の文化は、2020年(令和2年)に「究極の雪国とおかまち―真説!豪雪地ものがたり―」として日本遺産に認定されました。
雪を資源へ:アートと交流に賭ける地方創生

日本のパウダースノーを目指すスノーツーリズムは、観光庁の調査によると訪日外国人旅行者による消費額の押し上げ効果が年間で約640億円規模に上ります。特に訪日スキー客の平均旅行支出は1人あたり30万円以上と非常に高く、十日町市をはじめとする豪雪地の経済を支える重要な柱となっております。冬の試練である雪を、他地域にはない最大の地域資源として最大限に活用し、地域経済の活性化、すなわち地方創生に繋げる取り組みが展開されています。
十日町市では、雪を背景に、地域に根差した生活や文化を表現する試みが成功しています。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、豪雪地帯の集落を舞台に、国内外のアーティストが作品を展開し、過疎化が進む地域に新たな命を吹き込みました。雪中での生活文化や美しい棚田の風景とアートを結びつけることで、季節を問わず人々を惹きつけています。
さらに、十日町市は東京都の世田谷区に対し、毎年10トンから数10トンという大量の雪を贈り届けるという、ユニークな交流事業を長年にわたり展開しています。これは、1992年(平成4年)に、都市部の子どもたちに本物の雪に触れる機会を提供したいという十日町市民(旧松代町民)の熱意から始まりました。この交流は、地理的・文化的隔たりを超え、雪を通じた相互理解と友好関係の深化という、地方創生における重要なモデルケースとなっています。
未来へつなぐ雪の遺産
十日町市は、長きにわたり雪と共生してきた歴史と知恵を持つ、まさに「雪国文化の縮図」といえます。時に猛威を振るう雪に対して畏敬の念を抱きつつ、その恩恵を最大限に引き出す精神性は、この地域の揺るぎないアイデンティティです。
豪雪による負担と、近年の雪不足という二つの試練に直面する今、十日町市が培ってきた日本遺産に認定された文化や、利雪の技術、そしてアートや交流を通じた地方創生の取り組みは、日本全体が持続可能な地域づくりを考える上で、貴重なモデルを提供しています。私たちは、雪を単なる風景としてではなく、水資源、文化、そして未来の生活を支える大切な存在として、これからも雪と共に歩み続ける道を探求していく必要があります。
しかし、これだけはいえます。豪雪地帯に生きる人々にとって、雪が溶け、大地が顔を出す春の訪れは、何にも代えがたい解放であり、待ち遠しい喜びなのです。
―――
もっと知りたいあなたへ
日本遺産ポータルサイト
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story089/
十日町市「雪国ととおかまち」
https://www.city.tokamachi.lg.jp/yukiguni/index.html
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
https://www.echigo-tsumari.jp/
世田谷区(新年子どもまつりのお知らせ)
https://www.city.setagaya.lg.jp/02059/26734.html
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。