2025.12.19

文豪が愛した風景を巡る・小説と歩く日本紀行〜新潟県・越後湯沢〜

- SNSでシェアする -

トンネルを抜けた先に

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

この一文は、日本人なら誰もが一度は耳にしたことがあるといっても過言ではない。川端康成の「雪国」が紡ぎ出す世界の入口。清水トンネルという実在の長大なトンネルを抜けた瞬間、主人公・島村の目に映る景色が、読者の記憶に深く刻まれている。

いつか、あのトンネルを実際に抜けてみたい。そんな思いを抱きながら、私は上越線の列車に揺られていた。窓の外、山々の稜線が迫る。群馬県側の山容が次第に迫り、列車は山の懐へと吸い込まれていく。暗闇。9000メートルを超える長いトンネル。車窓は闇に包まれ、時間の感覚が曖昧になる。

かつて日本最長を誇ったこのトンネルは、上州と越後を隔てる国境の山塊を貫いている。機関車が煙を吐き、隧道(ずいどう)内に蒸気が立ち込めていた時代。島村もこうして、闇の中を進んでいったのだろう。そして、光——目の前に広がったのは、雪を抱いた山峡の集落、越後湯沢だ。冬の朝、「夜の底が白くなった」という小説の描写そのままに、雪明かりが柔らかく町を包んでいた。

文豪が見つめた温泉町

新潟県南魚沼郡湯沢町。ここに位置する越後湯沢温泉の歴史は古く、平安時代末期にまで遡るという。九百年近くも前から、豊かな湯が湧くこの地は、旅人や湯治客の疲れを癒してきた。江戸時代には三国街道の宿場町として栄え、昭和以降は温泉リゾートとして発展。川端康成がこの地を訪れたのは1934年(昭和9年)のことである。彼が滞在したのは「雪国の宿 高半」の一室「かすみの間」。この部屋は、島村が逗留した部屋のモデルとして知られる。

駅前から温泉街へと続く道を歩く。土産物屋やホテル・旅館が軒を連ね、湯けむりが立ち上がる。現代の観光地としての賑わいと、古き良き温泉町の風情が混在する不思議な空間。足湯に浸かる観光客、土産物を選ぶ家族連れ、静かに佇む老舗旅館。小説の中で芸者・駒子が行き来した道も、時代が違ってもきっとこんな風だったのだろう。

湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」に立ち寄る。ここには「雪国」にまつわる資料や、川端康成の遺品、初版本、そして雪国ならではの暮らしぶりが展示されている。雪深いこの地で、人々はどう冬を越してきたのか。雪囲いの道具、織物の技術、保存食の知恵。積雪が3メートルを超えることもあるこの土地で培われた、雪とともに生きる文化がここには息づいている。展示を見ていると、「雪国」が単なる恋愛小説ではなく、この土地の風土と暮らしを描いた作品でもあることに改めて気づかされる。

物語の温度を感じる

「雪国」は、東京から訪れた島村と、温泉町の芸者・駒子の儚い恋を描いた作品。島村という男は、裕福で芸術を愛する文化人でありながら、どこか現実から遊離した存在として描かれる。彼は何度もこの温泉町を訪れるが、決してここに根を下ろすことはない。一方の駒子は、懸命に生きる女性。病弱な許嫁のために東京で芸を学び、仕送りを続ける健気さ。だが島村は、そんな彼女の献身を美しいと感じながらも、どこか他人事のように眺めている。その対比が、物語に深い陰影を与えている。

実際にこの地を歩いてみると、小説の温度感を肌で理解できる気がする。冬の厳しさ、雪に閉ざされた静寂、それでも灯る温かな宿の明かり。駒子が三味線を習い、芸を磨いた日々。夜ごと座敷に上がり、客をもてなす生活。彼女の生きる場所は、都会の島村とは決定的に違う、雪という現実に根ざした世界だった。島村にとって雪国は非日常の空間だが、駒子にとっては日常そのもの。この温度差が、二人の関係に切なさを生んでいる。

高半の「かすみの間」は現在も文学資料室として保存されており、貴重な歴史的・文学的資料であるため、現在は宿泊客のみが見学可能となっている。窓から見える景色は、川端が見たものと変わらない。山あいに広がる町並み、遠くに連なる山々、静かに降り積もる雪、時が止まったかのような眺望。川端はこの部屋で、何を想って雪国を執筆したのだろう。

雪国の味わい

越後湯沢駅構内「ぽんしゅ館」の日本酒コイン式自動販売機画像

越後湯沢を訪れたなら、この地の食文化にも触れたいものだ。新潟といえば米どころ。豪雪地帯ならではの清らかな雪解け水が、豊かな実りをもたらす。駅構内にある「ぽんしゅ館」では、新潟の地酒を利き酒できるコーナーがあり、観光客で賑わっている。コイン式の自動販売機で好きな銘柄を選び、小さなおちょこで味わう。清らかな水が育んだ米、同じく清らかな水が醸す酒。口に含めば、この土地の豊かさが伝わってくる。

辛口、甘口、フルーティー、どっしりとした味わい。蔵ごとの個性を楽しみながら、気に入った一本を土産に選ぶのも旅の楽しみ。そして忘れてはならないのが、へぎそば。布海苔(ふのり)をつなぎに使った独特のそばは、ツルリとした喉越しと豊かな風味が特徴だ。名前の由来となっている「へぎ」と呼ばれる木の器に、一口分ずつ丸めて盛られた姿も美しい。

雪深い土地ならではの保存食文化から生まれた一品は、今では湯沢の名物として親しまれている。温泉で体を温め、地酒を傾け、そばをすする。シンプルだが、これ以上の贅沢はないのではないか。冬ならば、鍋料理や囲炉裏端での食事も格別。地元の山菜を使った料理、川魚の塩焼き。素朴だが滋味深い味わいが、舌を通じて旅の記憶に残る。

季節が変わっても

秋の越後湯沢ロープウェイと紅葉の風景画像

越後湯沢は、冬だけの町ではない。春には山菜が芽吹き、フキノトウやコゴミが食卓を彩る。夏には緑が濃く茂り、避暑地としての顔を見せる。秋には紅葉が山を染め、実り豊かな季節を迎える。

スキーリゾートとしての顔もあれば、高原リゾートとしての魅力もある。ロープウェイで標高を上げれば、眼下に広がる景色は圧巻。谷川岳をはじめとする山々が連なり、眼下には湯沢の町が広がる。四季折々の表情を見せるこの地は、季節を変えて訪れるたびに新しい発見がある。

だが、やはり「雪国」を読んだ者にとって、一度は雪の季節に訪れたいと思うのが自然だろう。しんしんと降り続く雪、白一色に染まる世界。音が吸い込まれるような静けさ。その静寂の中に身を置いたとき、島村が感じた孤独と駒子が抱えた切なさが、少しだけ理解できたような気になれる。雪に閉ざされた温泉町で、二人は束の間の時間を過ごした。それは夢のような、しかし確かに存在した時間。その余韻が、今もこの町には漂っているのだ。

物語が息づく場所

「雪国」には、火事の場面が印象的に描かれている。繭倉(であり映画を上映していた館)が燃え上がり、炎が夜空を焦がす。その光景を見上げる駒子と島村。物語のクライマックスともいえるこの場面は、実際に川端が逗留中に起きた火事をモチーフにしているという。この火事の時に二人は天の河を眺めていた。訪れる時期によっては、小説の中の情景を垣間見ることができるかもしれない。

文学作品の舞台を訪ねることの醍醐味は、こうした発見にある。文字で読んだ世界が、目の前に立ち現れる瞬間。物語の登場人物が歩いた道を、自分も歩いている実感。そして、その土地に暮らす人々の営みを肌で感じること。越後湯沢は今も、川端康成が訪れた頃の面影を残しながら、時代とともに変化し続けている。

文学が紡ぐ旅の記憶

越後湯沢の街、雪の夜明け前の画像

小説の舞台を訪ねる旅には、特別な魅力があるように思う。それは観光地を巡るだけの旅ではなく、物語という透明なフィルターを通して土地を見つめる行為。文豪の目線で景色を眺め、登場人物の足跡をたどる。そうすることで、その土地の歴史や文化、人々の営みが、より深く心に響いてくる。ガイドブックに載っている名所を訪ねるだけでは得られない、もう一つの層が見えてくる。

越後湯沢は、川端康成という稀代の文豪が愛した場所。彼がこの地で感じ取ったもの、筆に込めたものは、今も変わらずここに在る。トンネルを抜けた先に広がる雪国の風景は、100年近く経った今も、訪れる者を静かに迎え入れてくれる。温泉に浸かり、雪を眺め、地酒を味わう。そんなシンプルな時間の中に、物語の記憶が溶け込んでいく。

次に「雪国」のページを開くとき、きっと違う読み方ができるはず。文字の向こうに見える景色が、より鮮明に、より温かく感じられるはずだからだ。そして、季節を変えて、何度でもまたこの地を訪れたくなる。文学が誘う旅は一度では終わらないのもまた、魅了される理由の一つなのだ。

―――
もっと知りたいあなたへ

越後湯沢観光ナビ
https://www.e-yuzawa.gr.jp/
にいがた観光ナビ
https://niigata-kankou.or.jp/

本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。

- SNSでシェアする -