
「包丁は、料理人の命」
そんな言葉を、全身全霊で体現する男がいる。岐阜県関市で生まれ育ち、「世界一切れる包丁」を目指し、鍛え、磨き、削り続けてきた男——小林弘樹氏。
日本の伝統工芸の中でも世界的に知られる「刃物の町」関。だがその背景には、後継者不足や価格競争、そして大量生産への転換という、産業構造の厳しい現実がある。特に関市の刃物産業は、一時期は国内シェアの6割を誇ったものの、現在では海外製品との価格競争に苦しみ、低価格・大量生産品の台頭で本来の職人技術が失われつつある。使い捨ての文化と、見た目重視の傾向が、質より量を求める風潮を加速させているのだ。
そんな中で、世界中の一流シェフが指名する「究極の切れ味」を武器に、真正面から勝負を挑む職人がいる。切れ味だけで、世界は取れる——そう信じ、挑み続ける小林氏の姿勢は、日本のものづくりに新たな光を投げかけている。
刃物とともに生きる家系に生まれて

小林弘樹氏は、1980年に岐阜県関市に生まれた。祖父も父も刃物職人という家庭で育ち、刃物が生活の中心にある環境で自然とその世界に惹かれていった。
大学時代の卒論テーマは「地場産業と刃物」。地域の産業構造を見つめる視点を持ちながら、在学中にカナダに渡り、海外で日本製品がどのように評価されているかを肌で感じた。「MADE IN JAPANの技術は、海外では、ブランドとして特別視されている。それを体感したとき、海外にいながらにして日本の価値に改めて気づかされた」と語る。
父の背中を見て育った彼は、包丁職人になるのが小学生の頃からの夢。高校卒業時と大学卒業時に家業を継ぐことを志願したが、二度にわたり父から反対された。「これから衰退していく産業に入っても、苦労するだけだ。企業に就職しろ」と。しかし、その意思は揺るがず、2004年に創業者の父を説得し、「小林自研」に入社。2016年には自身の理想を追求するため、「株式会社礼頂」を設立した。
「ものを頂くことへの礼」の気持ちを込めたその社名には、自然への敬意と職人としての矜持が込められている。世界一の包丁を全て自社で作るという構想は、父の会社で仕事をしていた頃から10年来持ち続けていた信念で、ゆるぎがないものだった。包丁一丁を作る工程の中で、関市では、それぞれの製造過程を分業している。それを一社で全てを行うという構想は、あまりにも無謀に見え、周囲からは猛反対を受けた。
最高級の切れ味を目指す理由
「お客様の手元に届いたとき、『一発で虜になる』——そんな包丁を作りたいと思ったんです」
修業時代、世の中にあふれる包丁の多くが「なんとなく切れる」ものだった。だが、自らが理想とするのは、一瞬で世界が変わるほどの圧倒的な切れ味。そこに「値段では測れない価値」があると確信し、小林氏は「切れ味だけで勝負する」という極端な道を選んだ。
礼頂を立ち上げ、初めて納得のいく切れ味の包丁が完成したとき、小林氏が目指したのは、世界の一流現場での評価だった。そんな想いを胸に向かったのが、東京六本木にある「ジャン・ジョルジュ 東京」。同年代で世界を舞台に活躍する米澤文雄シェフに、包丁を直接手渡すことになる。「世界を見据えて活躍している米澤シェフに、感動を与えられなかったら、諦めよう」——覚悟の上での運命の出会いだった。
「小林さんの包丁は、切れ味はもちろん、食材の細胞を壊さず、刃に素材が吸いつくような、不思議な感触があるんです」と米澤シェフ。料理人としての感動は、その後の信頼関係へとつながり、今では自身の使用はもちろん、贈り物としても重宝しているという。
「同世代で、しかも誕生日は1日違い」——偶然が重なりすぎる出会いは、まるで導かれるようだった。
切れ味に宿る思想と仕組みづくり

1本の包丁を仕上げるのに、約5〜6時間を要する。素材選びから熱処理、研磨、仕上げまで、すべての工程で妥協はない。その哲学の根底にあるのは、「切れなければ刃物ではない」という一言。見た目の華やかさやブランド名ではなく、刃物としての本質的な価値を追求する。
さらに注目すべきは、小林氏が展開する「砥石ビジネス」である。全国各地の職人が必要とする砥石に目をつけ、関市の砥石問屋の事業継承をする。包丁に最適な砥石や研磨機を一貫して提案・供給し、技術だけでなく道具の供給体制まで整える。加えて包丁づくりに欠かせない羽布と研磨剤を扱う会社の事業継承も現在進めている。
「良い包丁があっても、それを支える道具がなければ、良い性能は引き出せない」——そんな考えから、職人の悩みに寄り添い、最適な解決法を提案する。小林氏は自らを「切れ味のコーディネーター」と語る。
稼げる職人、続けられる伝統
小林氏の包丁は、現在「タワーナイブス東京」「タワーナイブス大阪」の2店舗のみで販売されている。購入希望者は世界中におり、納品には2年以上の待ち時間が生じている。
「作れば作るだけ売れる。10倍作れば10倍売れる」——だが「量産はしない」と小林氏は言い切る。「守るべきは数ではなく、価値」その製造規模に対してのビジネス成立度の高さは、目を見張るものがある。礼頂では、職人ひとりひとりが技術を習得し、しっかりと収入を得られる構造を確立しつつある。
「職人が稼げなければ、文化は続かない。だから僕は、技術と同時に『マインド』を育てていきたい」。そのマインドとは、技術以上に大切な、仕事に向き合う姿勢や誇り、自分と向き合う力——すなわち、人間としての成長である。「本当の意味での優しさや思いやりがなければ、いい仕事はできない」と小林氏は言う。
現在は新工房の設立準備も進行中で、若手職人が独立しても仕事ができる仕組みを整えようとしている。技術の継承と、地域産業のモデルづくり。その中心にあるのは、変化に適応しながらも、根幹の精神を守るという信念だ。
未来は、世界の先にある

包丁は、料理人の道具であると同時に、作り手の魂が宿る工芸品だ。小林氏がつくる包丁は、単なる「道具」を超え、日本の職人技の美しさと誇りを世界に伝えている。「世界一切れる」という言葉の裏には、技術だけではない、強い信念と構造的な変革への挑戦がある。今、日本の伝統技術が再び世界の舞台で輝くとき、それを可能にするのは、こうした「つくり手」たちの意志だ。
日本には、関市の刃物産業のように、伝統産業の衰退や技術継承者の減少といった課題を抱える地域が数多く存在する。国内市場だけを見れば、人口減少や高齢化といった構造的問題から、衰退の未来は避けがたく映るかもしれない。
しかし、視点を世界に広げればどうだろうか。日本の名工を求める声は、今も世界各地で高まっている。商売の舞台を世界に移した瞬間に、挑戦の幅は一気に広がる。
もちろん、ドイツのゾーリンゲンやイギリスのシェフィールドなど、同業の強力なライバルも存在する。だが、その中で浮き彫りになるのは、「日本らしさとは何か」「なぜ日本の職人が選ばれるのか」という本質である。
関市の最大の魅力は「圧倒的な生産力」だ。分業制を背景に、そこそこの品質の包丁であれば大量生産が可能な体制が整っている。しかし、世界最高水準の包丁の量産となると、その水準には届いていない。
中国やインドといった国々には、日本ブランドの製造拠点が存在し、それらの工場でも日本の技術を学び、着実に品質を高めてきている。やがて、それらが競合となる日は遠くない。だからこそ、今こそ関市全体の技術底上げが求められている。町全体が「最高級の包丁」を生み出せる技術力と意識を持ち、世界に誇れる真の「刃物の町」となるためには、何よりも「教育」が必要なのだ。
教育とは、単に職人技術の伝承にとどまらない。考え方、向き合い方、道具の扱い方、そして「なぜこの仕事をするのか」という哲学までも含めた視点が重要になる。
日本の伝統工芸が生き残る道——いや、生き残るだけでなく、未来を切り拓く道は、世界を見据えたときにこそ、限りない可能性に満ちているのではないだろうか。
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