2025.11.4

雲海に浮かぶ城跡。日本のマチュピチュ、竹田城の秋〜紅葉と幻想の旅〜

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霧の海に浮かぶ、幻の城

朝霧が深く立ち込める秋の早朝、古城山(こじょうざん)の頂に浮かび上がる石垣の美しいシルエット。雲の海に浮かぶ古代遺跡のような神秘的な光景は、多くの人を魅了し続けています。兵庫県朝来(あさご)市にある竹田城跡は、その幻想的な姿から「日本のマチュピチュ」「天空の城」と呼ばれ、全国から観光客が訪れる人気スポットです。

標高353.7メートルの古城山山頂に築かれた竹田城跡は、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。全国でも稀な完存する山城遺跡として、その規模は東西約100メートル、南北約400メートルに及びます。室町時代から戦国時代にかけて約157年間、この地を治めた武将たちの息づかいが今もなお感じられる場所です。

秋の竹田城跡の最大の魅力は、何と言っても雲海と紅葉のコラボレーション。9月下旬から11月下旬にかけてのわずかな期間、特定の気象条件が重なったときにだけ見ることができる奇跡の風景は、一度目にすれば生涯忘れることのできない感動を与えてくれます。今年の秋は、雲海の向こうにある物語を探しに行きませんか?

竹田城跡とは?歴史に刻まれた戦国ロマン

築城の由来と戦国時代の役割

竹田城の歴史は、1443年頃、室町時代の嘉吉年間に遡ります。現存する文献等が少なく不明な部分も多いですが、当時の但馬守護であった山名宗全(やまなそうぜん)が、配下の太田垣光景(おおたがきみつかげ)に命じて築城させたのが始まりとされています。山名宗全といえば、応仁の乱では西軍の総大将として活躍した戦国武将。その戦略的な眼光が、この地に城を築く決断を下したのです。

廃城後の保存と観光地化の流れ

築城以来、太田垣氏が7代に渡って城主を務めましたが、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による但馬攻めにより、太田垣氏は没落。その後は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、当時竹田城に在していた赤松広秀が西軍に与して戦いましたが、戦後の処理で鳥取城下町を放火したとの罪で自刃させられ、竹田城も廃城となりました。約157年間続いた竹田城の歴史がここで幕を閉じたとされています。

城郭が取り壊されてからは長い間、日の目を見ることはなかった竹田城跡でしたが、1943年(昭和18年)に国史跡に指定され、その歴史的価値が認められました。2009年(平成21年)には国史跡の追加指定を受け、現在の姿へと整備が進められてきました。

さらに、近年のメディア露出により「天空の城」として全国的に知られるようになり、年間約60万人の観光客が訪れる兵庫県屈指の観光スポットとなりました。しかし、その人気の根源は単なるブームではなく、400年以上の時を経てもなお美しく残る石垣遺構と、自然が織りなす幻想的な風景にあるといえます。

なぜ「日本のマチュピチュ」なのか

竹田城跡の美しい穴太積みの石垣の画像

竹田城跡が「日本のマチュピチュ」と呼ばれる理由は、山頂に築かれた石垣の美しさと、雲海に浮かぶ姿の神秘性にあります。ペルーのマチュピチュ遺跡と同様に、山の頂上に築かれた古代の建造物が雲の海に浮かび上がる光景は、まさに天空に浮かぶ城そのものです。

特に竹田城跡の石垣は、「穴太積み」という技法で築かれています。これは大小さまざまな自然石をほとんど加工せずに組み合わせる伝統的な石積み技術で、400年以上経った現在でも崩れることなく、当時の姿をそのまま留めています。朝日に照らされた石垣が雲海の中に浮かび上がる様子は、古代文明の神殿を思わせる荘厳さが漂っています。

また、竹田城跡からの眺望も格別です。眼下に広がる朝来市の町並み、遠くに連なる山々、そして秋には色とりどりの紅葉が織りなす絶景は、訪れる人々の心を深く動かします。

雲海のベストシーズンと条件

円山川から立ち上る水蒸気と竹田城跡の雲海形成の画像

竹田城跡の雲海を見るベストシーズンは、9月下旬から11月下旬にかけての秋の期間です。この時期、朝夕の寒暖差が大きくなることで、円山川(まるやまがわ)から立ち上る水蒸気が霧となって谷間に滞留し、幻想的な雲海を形成します。

最も美しい雲海が見られるのは、明け方から午前8時頃まで。この短い時間帯に、
①晴れていて
②風が弱く
③前夜に雨が降って湿度が高い
という複数の気象条件が重なったときにのみ、奇跡の風景が現れます。雲海シーズン中の竹田城跡は、通常より早い午前4時から開城されます。暗いうちから登城すれば、日の出とともに変化する雲海の表情を楽しむことができ、まさに自然が演出する壮大なドラマを目撃することができるのです。

立雲峡からの眺めが人気

竹田城跡の雲海を撮影するなら、城跡から円山川を挟んだ反対側にある「立雲峡(りつうんきょう)」が最高のビューポイント。朝来山の中腹に位置するこの展望スポットからは、雲海に浮かぶ竹田城跡の全景を写真に収めることができ、多くの写真愛好家が訪れます。

立雲峡には複数の展望台が設けられており、最高所の第一展望台からの眺めは格別です。特に朝日が昇る瞬間、雲海の向こうから光が差し込み、竹田城跡のシルエットが黄金色に輝く光景は息を呑む美しさ。この瞬間を捉えようと、多くの人が早朝から準備を整えて待機しています。

一方、竹田城跡内からの眺めも魅力的。天守台から南千畳を見下ろすアングルは、テレビや雑誌でよく見る「日本のマチュピチュ」の代表的な構図。朝日に照らされた折り重なる石垣と、眼下に広がる雲海のコントラストは、まさに絵画そのものです。

自然が織りなす芸術

秋の紅葉と雲海のコラボレーションが幻想的な竹田城跡の画像

秋の竹田城跡のもう一つの見どころは、雲海と紅葉のコラボレーションです。10月中旬から11月上旬にかけて、周囲の山々が赤や黄色に色づき、古い石垣とのコントラストが美しい景観を作り出します。

二の丸や三の丸から南千畳を望む角度では、山肌を彩る紅葉が目の前に広がり、自然が描いた巨大なキャンバスのよう。朝霧と紅葉が織りなす幻想的な時間は、季節の移ろいとともに刻々と変化し、同じ景色は二度と見ることができません。

北千畳では、眺望を楽しみながらゆっくりと休憩することができます。お弁当を広げて、紅葉に囲まれながら過ごす時間は格別。時間とともに変化する光の加減や雲の流れを眺めながら、戦国時代に思いを馳せるのも旅の醍醐味の一つです。

秋の竹田城跡がくれる、心の余白

竹田城跡の魅力は、単に美しい景色を見ることだけではありません。ここは自然と歴史が重なる場所であり、戦国時代から現代まで続く時の流れを肌で感じることができる貴重なスポット。

雲海に浮かぶ古城の姿は確かに幻想的ですが、その背景には400年以上前に生きた人々の営みがあります。太田垣氏7代の治世、赤松広秀の仁政、そして廃城から現在に至る保存への取り組み。多くの人々の想いが重なって、今の竹田城跡があるのです。

秋の早朝、雲海に包まれた竹田城跡に立つとき、私たちは日常の喧騒から離れ、自然の雄大さと歴史の重みを同時に感じることができます。刻々と変化する雲の流れ、朝日に照らされる石垣の美しさ、山々を彩る紅葉の鮮やかさ。そのすべてが心に静かな感動を与え、忙しい現代生活の中で忘れがちな「心の余白」を取り戻してくれます。

早朝の冷たい空気の中で出会う幻想的な風景は、きっとあなたの心に特別な思い出を刻み込んでくれるはず。自然と歴史が織りなす奇跡の瞬間を、その目で確かめに行きませんか。

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もっと知りたいあなたへ

竹田城跡公式ホームページ(朝来市)
https://www.city.asago.hyogo.jp/site/takeda
竹田区 立雲峡公式ホームページ
https://www.ritsuunkyo.com
HYOGo!ナビ(兵庫県公式観光サイト)
https://www.hyogo-tourism.jp/spot/0747

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