2025.10.14

小さな産地に宿る大きな可能性、福井・鯖江が紡ぐ「ものづくり革命」の軌跡

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福井県鯖江市(さばえし)は、面積わずか84.6平方キロメートルという小さな自治体でありながら、日本の地場産業が抱える課題と可能性を最も象徴的に体現している場所かもしれない。「眼鏡」の国内生産シェア90%以上という圧倒的な存在感を持ちながら、同時に1500年の歴史がある越前和紙、越前漆器、越前打刃物など、半径10キロメートル圏内に7つもの伝統工芸が集積する稀有な産地でもある。

若き職人が紡ぐ新たな物語

この地域で注目すべき動きの一つが、都市部から移住してきた若いクリエイターたちの存在だ。彼らの多くは、全国各地で開催される産業観光イベントに参加したことをきっかけに移住を決意している。

このイベントの背景には、地場産業が直面する深刻な課題がある。越前漆器、越前和紙、越前打刃物などの伝統産業は「需要縮小」という共通の問題を抱えている。特に越前漆器においては、人手不足も深刻化しており、新たに産地に入る人よりも廃業する職人の方が多いという厳しい現実がある。

しかし、このピンチをチャンスに変えようとする動きが、産業観光イベントから生まれている。イベントを運営する団体は、単なるイベント企画を超えて、持続可能な地域づくりを目指す総合的なプラットフォームとして機能しているといえる。

デザインの力で伝統を現代へ

鯖江市内の古い建物を改装したデザイン事務所では、関西から移住した若手デザイナーたちが地域に根ざした活動を展開している。彼らが掲げるビジョンは「創造的な産地をつくる」こと。単に「つくる」だけの時代は終わり、デザインを活用して「売る」ところまで責任を持つ新しい地域づくりのモデルを実践している。

この取り組みで特筆すべきは、4つの事業領域を「支える」「作る」「売る」「醸す(かもす)」というフィロソフィーで体系化していることだ。「支える」では地場産業のブランディングやパッケージデザインを手がけ、「作る」では眼鏡の端材を活用したアクセサリーや越前漆器の技術を使った弁当箱などの自社ブランドを展開している。

興味深いのは「醸す」の部分だ。これは単なる外部からのコンサルティングではなく、地域に根ざしながら産地の熱量を上げていく、いわば「おせっかい」なアプローチなのだ。地域のデザイン事務所として、その土地に最適化したモデルを確立しようとしている。そういった土壌を醸成するということを指して「醸す」なのであろう。

新しいブランド戦略の実践

越前打刃物の職人さんの画像

2022年に立ち上がった県主導のブランドプロジェクト「F-TRAD」は、福井県の伝統工芸品を現代のライフスタイルに合わせてアップデートする取り組みだ。プロジェクト名には、福井(FUKUI)のほか、融合(FUSION)、特徴(FEATURE)の意味が込められている。

このプロジェクトに参加したデザイナーたちは、何度も産地に足を運び、各工芸が持つ歴史と技術、そして現状や課題に真正面から向き合った。その結果生まれた新商品群は、単なる商品開発を超えて、伝統工芸の新たな可能性を示すプロトタイプとしての意味を持っている。

例えば、越前打刃物の技術を活用した現代的なキッチンナイフや、越前和紙の特性を生かしたインテリアアイテムなど、職人の技術力と現代的なデザイン感覚が見事に融合した作品群は、地場産業の未来への道筋を具体的に示している。

新しいコミュニティの力

注目すべきは、移住者と地元職人の間に生まれる新しいコミュニティの力だ。商工会議所内の創造拠点や、コミュニティシェアオフィスなど、異業種・異世代が交流できる場が次々と生まれている。

これらの場所では、伝統的な技術を持つ職人と、マーケティングやデザインのスキルを持つ移住者が自然な形で出会い、新しいアイデアが生まれる。この地域を「ものづくりを求める人が最初に訪れる場所」にしたいという想いは、こうした有機的なネットワークによって着実に実現されつつある。

産業観光の新しいモデル

地域の複合施設では、観光と伝統工芸を結ぶ新しいアプローチが実践されている。「Craft Invitation(クラフト・インビテーション)」が好例で、デザイン事務所、工房、店舗、観光案内所、レンタサイクルが一つの建物に共存して産業観光の新しいモデルを提示している。

ここでは作り手とデザイナーやバイヤーのマッチング機能も持たせており、観光施設という側面だけではなく、産地の持続可能性を支える中核施設として期待され、機能している。デザイン機能とものづくり機能が両輪で動く場とは、地域のデザイン事務所の在り方としての実験でもある。

次世代へ受け継ぐ技術と精神

越前漆器の制作をする職人の手元画像

鯖江市の地場産業の強さは、技術の高さだけでなく、変化を恐れない柔軟性にある。眼鏡産業では、従来のメガネフレーム製造技術を応用してスマートグラスやVRヘッドセットの部品製造に参入する企業も現れている。越前漆器でも、伝統的な塗り技術を車の内装材や建築材料に応用する新たな取り組みが始まっている。

産業廃棄物だったメガネの端材に新たな価値を見出し、サステナブルなものづくりの可能性を示した事例などもあり、いずれも評価されているようだ。

全国への波及効果

鯖江市での取り組みは、全国の地場産業を抱える地域にも大きな影響を与えている。産業観光イベントのモデルを参考にした工房開放イベントが各地で開催され、「産業観光」という新しい観光の形が定着しつつある。

また、地域に根ざしたクリエイティブ事業の概念は、新しいワークスタイルのモデルとして注目されている。東京や大阪などの大都市圏からデザイナーやクリエイターが地方に移住し、地域の産業と連携する事例が増えているのも、鯖江市の取り組みが示した成功パターンの影響といえるだろう。

デジタル時代の工芸品流通と新たな挑戦

JR福井駅東口駅前の画像

インターネットの普及により、地場産業の販売チャネルも大きく変化している。鯖江市では、ECサイトやSNSを活用した直販体制を構築する企業が増えており、従来の問屋主導の流通形態から脱却する動きが見られる。

特に若い職人や新規参入者にとって、デジタルマーケティングは自分たちの作品を広く知ってもらう重要な手段となっている。工房の様子をSNSで発信し、製作過程を動画で紹介することで、商品の背景にあるストーリーや職人の思いを直接消費者に伝えることが可能になった。

福井県全体では、2024年の北陸新幹線開業により首都圏からのアクセスが格段に向上した。これは鯖江市の地場産業にとって新たなチャンスでもあり、同時に更なる競争を意味している。観光客の増加により、産業観光への関心も高まっている。一方で、観光地化による地域コミュニティへの影響や、職人の作業環境の変化なども懸念される。持続可能な観光のあり方を模索しながら、地域の魅力を発信していくバランス感覚が求められている。

しかし、この小さな産地が積み重ねてきた挑戦と革新の歴史を見る限り、その未来は決して暗くない。1500年前から続く職人の技術に、現代的なデザインとマーケティングの視点が加わり、さらには全国から集まる若い才能が新しい風を吹き込んでいるのだ。

地方創生のモデルケースとして

鯖江市の取り組みは、人口減少と高齢化に悩む全国の地方都市にとって貴重な参考事例となっている。地域資源を活用した産業振興、移住促進策の充実、産学官連携の推進など、複数の要素を組み合わせた総合的なアプローチが成果を上げている。

特に注目されるのは、外からの視点と内からの伝統を融合させた新しい価値創造のプロセスだ。移住者の新鮮な視点が地域の隠れた魅力を発見し、それを地元の技術と組み合わせることで、従来にない商品やサービスが次々と生まれている。

「創造的な産地をつくる」というビジョンは、単なるスローガンではなく、日々の実践を通じて着実に現実のものとなっている。鯖江市の挑戦は、日本の地場産業全体にとっての希望の光であり、地方創生の新しいモデルケースとして、今後も多くの注目を集め続けるだろう。

小さな産地に宿る大きな可能性。鯖江市が紡ぐ「ものづくり革命」の物語は、まだ始まったばかりなのだ。

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もっと知りたいあなたへ

めがねのまち鯖江(鯖江市ホームページ)
https://www.city.sabae.fukui.jp/
F-TRAD
https://f-trad.com/
一般社団法人SOE「Craft Invitation」
https://craftinvitation.jp/

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