文豪が愛した風景を巡る・小説と歩く日本紀行3〜兵庫県・城崎温泉~
小さな命と向き合う旅
温泉街を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いに、柳の並木が揺れている。浴衣姿の人々が下駄の音を響かせながら、橋を渡っていく。兵庫県北部、日本海に近い豊岡市にある城崎温泉は、開湯1300年を超える歴史を持つ古湯。そして、志賀直哉の短編「城の崎にて」の舞台として、文学史にその名を刻む場所でもある。
「城の崎にて」は、短い作品である。だが、その凝縮された文章の中に、生と死という普遍的なテーマが静かに息づいている。主人公の「自分」は、山手線の電車にはねられて重傷を負い、後養生のためにこの温泉町を訪れる。静養の日々の中で出会うのは、蜂、鼠、イモリという小さな生き物たちの死。それらを見つめることで、「自分」自身が死というものと向き合っていく。
志賀直哉自身が実際に電車事故に遭い、1913年、30歳の時にこの地を訪れたという。つまり、この物語は彼自身の体験に基づいている。作品と現実が重なり合う場所。それが城崎温泉なのだ。
7つの湯を巡る文化

城崎温泉の最大の魅力は、「外湯めぐり」にある。温泉街には7つの公共浴場があり、それぞれが異なる風情とご利益を持つ。「さとの湯」「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」。城崎の人々は古くから「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、外湯は風呂」という考え方で街づくりをしてきた。すなわち、温泉街全体がひとつの大きな宿なのだ。
浴衣に着替え、下駄を履いて外湯を巡る。小さな温泉街だから、どこへ行くにも歩いて数分。橋の上から川を眺め、射的場を覗き、温泉まんじゅうを買い食いする。そんな気ままな散策が、この町の楽しみ方。宿に戻れば部屋に温泉があるけれど、あえて外へ出る。他の宿の客とも自然に顔を合わせ、挨拶を交わす。それが城崎の流儀。
泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で、温まりやすく湯冷めしにくいのが特徴。外湯をハシゴしても、体は芯から温かいまま。冬の夜、浴衣1枚で歩いても寒さを感じないのは、この湯の力だろう。湯上りに飲む瓶入りのコーヒー牛乳が、また格別においしいのだ。
死を見つめた場所
志賀直哉が滞在したのは、創業300年の老舗旅館「三木屋」。国登録有形文化財にも指定されているこの宿は、今も当時の面影を残している。約300坪ともいわれる日本庭園、重厚な木造建築、静謐な空気。文豪たちに愛されたこの宿で、志賀は何を見、何を感じたのか。
作品の中で「自分」が目撃するのは、まず蜂の死。宿の2階から見える雨樋の上に転がった蜂の死骸。仲間の蜂たちは見向きもせず、ただ1匹、静かに横たわっている。その姿に「自分」は寂しいが、静かな死への親しみを感じる。次に目にするのは、鼠の死。首に串を刺され、川へ投げ込まれた鼠が、必死に岸へ這い上がろうとしている。子どもたちは面白半分に石を投げ、鼠は逃げ惑う。その動揺、生への執着が、「自分」には恐ろしく映る。
そして、イモリの死。小川の石の上にいたイモリに、「自分」は何気なく石を投げる。偶然にもその石が当たり、イモリは死んでしまう。「自分は偶然に死ななかった。イモリは偶然に死んだ」。その事実が、「自分」に深い思索をもたらす。
生と死は、紙一重。偶然と必然の狭間にある。志賀はこの温泉町で、そんな境地に至った。
文学が薫る温泉街

とした作家たちがこの地を訪れ、作品を残している。温泉街には「城崎文芸館」があり、彼らの足跡を辿ることができる。志賀直哉の直筆原稿や初版本、当時の写真などが展示され、文学ファンにとっては聖地のような場所となっている。
温泉街を歩いていると、あちこちに文学の香りを感じることができる。旅館の看板に刻まれた作家の名前、書店に並ぶ文庫本、カフェで読書する旅行者。この町には、本を読むという行為がとてもよく似合う。実際、近年では「城崎国際アートセンター」が設立され、アーティストの滞在制作プログラムが行われている。文学とアートが息づく温泉町として、新しい魅力も生まれつつある。
但馬の恵みを味わう

城崎を訪れたなら、但馬(たじま)の食も楽しみたい。冬の名物は、何といっても松葉蟹。日本海で獲れた蟹は、身が詰まって甘みが強い。茹で蟹、焼き蟹、蟹刺し、蟹すき——1匹の蟹から、これほど多彩な味わいが生まれるのかと驚かされる。宿の夕食で出される蟹料理は、まさに至福の時間。
春から秋にかけては、但馬牛も見逃せない。きめ細かいサシが入った霜降り肉は、口の中でとろけるような食感だ。ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶ。どの調理法でも、そのおいしさは格別。地酒と合わせれば、言葉を失うほどの贅沢を味わえる。
温泉街の食べ歩きも楽しい。蟹の身がたっぷり入った蟹まん、地ビールの飲み比べ、但馬牛のコロッケ。昼間は外湯を巡り、夜は宿でゆっくり食事。そんなシンプルな過ごし方が、この町では最高の贅沢になること間違いなしである。
季節ごとの表情
城崎温泉は、四季それぞれに違った顔を見せる。春には桜が川沿いに咲き誇り、温泉街はピンク色に染まる。夏には灯籠流しや花火大会が開かれ、浴衣姿の人々で賑わう。秋には紅葉が山を彩り、温泉に浸かりながら眺める景色は格別。そして冬は、雪化粧した町並みと蟹の季節。湯気が立ち上る露天風呂で、雪を眺めながら温まる贅沢。
志賀直哉が訪れたのは秋だったという。「城の崎にて」の中にも、「冷え冷えとした夕方、淋しい秋の山峡」という秋の情景描写がある。虫の声が聞こえ、風が涼しく吹き抜ける季節。生と死について考えるには、ふさわしい時期だったのかもしれない。
どの季節に訪れても、城崎温泉は旅人を優しく迎え入れてくれる。ただ、「城の崎にて」の世界に浸りたいなら、やはり秋がいいだろう。少しひんやりとした空気の中、外湯を巡り、宿で静かに本を読む。そんな時間が、この作品の余韻とぴったり重なる。
命の重みを感じる旅

「城の崎にて」は、死について書かれた作品だが、決して暗くはない。むしろ、生きることの意味を静かに問いかけてくる。蜂も鼠もイモリも、ただ生きていただけ。そして、偶然に命を落とした。「自分」もまた、偶然に生き延びただけ。その事実を受け入れたとき、生と死の境界が曖昧になっていく。
城崎温泉を歩きながら、ふと足元に目をやる。小さな虫が道を横切っている。川には魚が泳ぎ、空には鳥が飛ぶ。この温泉街には、さまざまな命が息づいている。志賀直哉が見つめた小さな命たちも、きっとこんな風に、ただそこに在っただけなのだろう。
温泉に浸かり、体を休める。湯の中で目を閉じれば、自分という存在が溶けていくような感覚を覚える。生きているという実感が、ゆっくりと体に染み渡る。それは「城の崎にて」が描いた境地に、少しだけ近づく瞬間かもしれない。
文学の舞台を訪ねる旅は、ただ観光地を巡るのとは違い、作品の中の世界と、目の前の現実が重なり合う。志賀直哉が歩いた道を歩き、彼が見た景色を見る。そうすることで、作品の意味がより深く理解できるように思う。城崎温泉は、そんな旅にふさわしい場所。小さな命と向き合い、生きることの意味を考える。静かで、豊かな時間が、ここには流れている。
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もっと知りたいあなたへ
城崎温泉観光協会公式サイト
https://kinosaki-spa.gr.jp/
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本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。