文豪が愛した風景を巡る ・小説と歩く日本紀行2〜岩手県・花巻市〜
星空を見上げた、賢治の丘
花巻駅に降り立つと、宮沢賢治の言葉を思い出す。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。賢治の著作「農民芸術概論綱要」の中の有名な一文が旅の始まりを告げる。
岩手県花巻市。ここは宮沢賢治が生まれ、暮らし、そして37年という短い生涯を閉じた土地。彼の代表作「銀河鉄道の夜」に描かれた幻想的な世界は、この花巻の風土から生まれた。
駅から車で十分ほど、小高い丘の上に「宮沢賢治記念館」がある。イギリス海岸を見下ろすこの丘は、賢治が教師時代に教え子たちを連れて歩いた場所だ。昼は地質調査や植物採集、夜は星空観察。賢治にとって、この一帯は教室であり、創作の源泉だった。
記念館へ続く坂道を登りながら、彼もこうして空を見上げたのだろうと思う。晴れた日には、遠く岩手山が望める。賢治が愛した山。彼の詩や童話に繰り返し登場する、この土地の象徴。
「銀河鉄道の夜」は、少年ジョバンニが親友カムパネルラとともに銀河を旅する物語。夢とも現実ともつかない幻想の中で、二人は美しい星々を巡り、さまざまな人々と出会う。生と死、幸福とは何か、人はどう生きるべきか。賢治の思想が、透明な物語に込められている。未完のまま残されたこの作品は、彼の死後に世に出て、今も多くの人の心を捉えて離さない。
賢治という人の、まっすぐな生き方

宮沢賢治記念館の展示を巡ると、彼がいかに多彩な才能を持った人物だったかがわかる。詩人、童話作家、教師、農業指導者、チェロ奏者、エスペラント語研究者——ありとあらゆる分野に関心を持ち、生涯学び続けた人。彼の手帳には、岩石の名前、植物のスケッチ、星座の観察記録がびっしりと書き込まれている。自然科学への深い造詣が、彼の作品に独特のリアリティを与えている。
賢治は裕福な質屋の長男として生まれたが、家業を継がず、農業に生きる道を選んだ。1926年(大正15年)、30歳のときに「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」を設立。自ら開墾した畑で農業を営みながら、近隣の農民たちに肥料の知識や稲作技術を無償で教えた。レコードを持ち込んでクラシック音楽の鑑賞会を開き、童話を朗読し、星空の解説をしたという。彼が目指したのは、農民の生活を豊かにすること。そして文化を届けることであった。
「雨ニモマケズ」の詩に表れているように、賢治は自己犠牲的なまでに人々のために尽くそうとした。だが、その生き方は決して暗いものではなかった。彼は音楽を愛し、星を愛し、自然を愛した。農作業の合間にチェロを弾き、子どもたちに童話を聞かせ、夜には星空を見上げた。貧しくとも、心は豊かに生きようとしたのだ。その姿勢が、作品の随所に輝いている。
イーハトーブという名の理想郷

賢治が作品の中で繰り返し描いた「イーハトーブ」。それは岩手をモデルにした架空の土地であり、彼の理想郷でもあった。現実の岩手は当時、冷害による凶作、飢饉、困窮する人々が生活する貧しい農村地帯だった。賢治はそんな現実を目の当たりにしながら、それでも美しい物語を紡いだ。イーハトーブには、豊かな自然と、助け合う人々と、文化がある。賢治が夢見た、あるべき社会の姿がそこにあるのだ。
花巻の町を歩くと、随所に賢治の痕跡がある。彼が教鞭をとった花巻農学校の跡地、花巻農業高校の敷地内に移築保存された羅須地人協会、童話村にある展示施設「賢治の学校」、生家跡、そして墓所。どれも派手な観光地ではなく、静かに賢治を偲ぶ場所となっている。町全体が、まるで賢治という人を大切に記憶しているかのようだ。
「イーハトーブ館」は、市が運営する施設でもあり、花巻市民の文化活動の拠点となっている。賢治作品や関連書籍が並び、売店やカフェも併設されている。窓の外には田園風景が広がり、遠くに山並みが見える。賢治が愛した風景と彼が歩いた道。それは特別なものではなく、ごく普通の田舎の景色だ。だからこそ、彼の作品は普遍性を持つ。どこにでもある風景の中に、奇跡のような美しさを見出す眼差し、賢治の眼差しを感じられる。
銀河鉄道が走る夜空
「銀河鉄道の夜」の中で、ジョバンニとカムパネルラは天の川を走る列車に乗る。白鳥座、蠍座、南十字星。実在の星座が物語の中に組み込まれ、幻想と科学が溶け合っている。賢治は天文学に深い興味を持ち、独学で星座を学んだ。教師時代には、生徒たちを連れて夜の野原に出かけ、星空を見上げながら宇宙の話をした。
花巻やその周辺では、「銀河鉄道の夜」をテーマにしたプラネタリウム番組が上映されることもある。ドームに映し出される満天の星を見上げながら、ナレーションとともに物語の世界が広がっていく。賢治が見た星空と、彼が想像した銀河鉄道。現実と空想が交差する時間。プラネタリウムを出ると、実際の夜空が待っている。花巻の夜は、街の明かりが少なく、星がよく見える。賢治の時代ほどではないにせよ、天の川の流れを感じることができる。
物語の中で、カムパネルラは川に落ちた友人を助けようとして溺れてしまう。ジョバンニは夢から覚め、親友の死を知る。美しい銀河の旅は、実は死への旅でもあった。そこには賢治自身の死生観が投影されている。彼は妹・トシを病で亡くし、深い悲しみの中で作品を書いた。「永訣の朝」という詩には、トシへの愛と喪失の痛みが刻まれている。死は終わりではなく、別の形での旅立ち。そんな思いが「銀河鉄道の夜」には込められている。
花巻の味、賢治の食卓

賢治はその人生のうち幾年かはベジタリアンだった。肉食を避け、玄米と野菜を中心とした食生活を送っていた。当時としては珍しい食習慣だったが、それは彼の思想と結びついていた。すべての生き物への慈しみ。命を奪わない生き方。実際には体が弱く、栄養不足に悩まされたともいわれるが、それでも彼は自らの信念を貫いた。
花巻には、賢治ゆかりの食を味わえる店がいくつかある。彼が好んだとされる天ぷらそば、サイダー、アイスクリーム。質素な暮らしの中でも、時折訪れた町の食堂で口にした味。賢治の人間らしい一面が垣間見える。また、花巻は温泉も豊富で、「花巻温泉郷」として多くの温泉地が点在している。賢治も湯治に訪れたことがあるというが、湯に浸かりながら彼は何を考えていたのだろう。
地元の食材を使った郷土料理も魅力的だ。ひっつみ、まめぶ汁、盛岡冷麺。岩手の豊かな食文化は、厳しい自然の中で培われてきた。保存食の知恵、発酵技術、地産地消の精神。賢治が理想とした「自給自足の豊かさ」は、こうした食文化の中にも表れている。レストランで地元の野菜を使った料理を食べながら、賢治が目指した農村の姿を思う。彼が生きた時代から百年近く経った今、私たちはどれだけ彼の理想に近づけているだろうか。
物語が灯し続ける光

賢治の作品は、生前ほとんど評価されなかった。「注文の多い料理店」は自費出版で、ほとんど売れなかった。詩集「春と修羅」も、わずかな部数しか刷られなかった。彼は無名のまま、病に倒れた。だが死後、彼の作品は次第に読まれるようになり、今では日本を代表する児童文学作家として世界中で愛されている。
花巻には、毎年多くの賢治ファンが訪れる。若い人も、年配の人も、家族連れも。それぞれが賢治の言葉に何かを見出し、この地を訪ねてくる。記念館のノートには、全国から、世界から届いたメッセージが綴られている。「賢治さんの優しさに触れたくて」「もう一度作品を読み返したくなりました」「子どもに読んであげたい」。賢治の作品は、時代を超えて、人々の心に灯りを点し続けている。
文学の舞台を訪ねることは、作品に新しい息吹を与える行為。花巻の風景、空気、人々の営み。それらすべてが、賢治の作品を立体的にしてくれる。「銀河鉄道の夜」を読み返すとき、ジョバンニが見上げた星空が、花巻の夜空に重なる。カムパネルラとの友情が、賢治自身の人間関係に重なる。物語はもう、ただの文字ではない。花巻という土地の記憶と結びついた、生きた世界になった。
次に岩手を訪れるとき、きっとまた違う賢治に出会える。季節が変われば風景も変わり、新しい発見がある。文学が誘う旅に終わりはない。賢治の言葉は今も、この土地で優しく響いている。
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もっと知りたいあなたへ
花巻の旅:一般社団法人花巻観光協会
https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/
花巻市公式ホームページ;宮沢賢治トップページ
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/index.html
国立国会図書館:近代日本人の肖像「宮沢賢治」
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/4318
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本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。