2025.7.8

道後温泉~白鷲から明治の文豪まで、多くの著名人も愛した湯治の名所~

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道後温泉(愛媛県・松山市)は兵庫県の有馬温泉、和歌山県の白浜温泉と並ぶ日本三古湯の一つであり、3000年の歴史を持つ松山の誇りだ。

白鷺伝説から始まり、聖徳太子、山部赤人、一遍上人、夏目漱石などの著名な人物が訪れているほか、アニメ映画「千と千尋の神隠し」では劇中の建造物「湯屋」のデザインの元になっているといわれるなど、数々の逸話や伝説を持つ道後温泉。長い歴史とともに培われた文化的価値や変遷、その魅力について、順を追って紹介したい。

道後温泉の成り立ち 白鷺伝説 

太古の昔、すねに傷を負って苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から出る温泉を見つけ、足を浸したところ、傷が完全に治り、元気に飛び去った。これを見て不思議に思った人々が自分達も浸かってみたところ、疲労回復や病気療養の効果があり、頻繁に利用するようになったことが道後温泉の始まりとされている。

このことから、白鷺は道後温泉のシンボルとなっていて、本館には白鷺をあしらった装飾があちこちに施されているほか、白鷺の名前を冠する飲食店が商店街にいくつも並んでいる。 

なんともありがたく不思議な伝説だが、この成り立ちがはっきりと記載されたのは1710年(宝永7年)に完成した郷土地誌「予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)」と、意外なことに歴史的には新しいものとなっている。1710年から見た太古の昔、その正確な発祥の記録は謎であるが、最も古い逸話は、飛鳥の時代にまで遡ることになる。

道後温泉を訪れた人々

聖徳太子の1万円札の画像

「伊予国風土記逸文(いよこくふどきいつぶん)」の記載によると、596年10月に聖徳太子が道後に来浴され、温泉の泉質と生い茂る椿の木々に感激し、湯の岡(現、道後公園)に石碑を建てたとされている。

残念ながら聖徳太子が建てたとされる石碑は現存していないが、我が国最古の石碑としてその所在については気になるところだ。誰もが知る歴史の人物である聖徳太子が道後を訪れていたというのは夢のような話でありながら、この石碑の話には、歴史を現実のものとして噛みしめさせる力がある。

また、道後温泉別館「飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)」にはこの石碑を復元したレプリカが設置されており、聖徳太子絶賛の「椿の森」をイメージした個室、「椿の間」が設けられている。 

それから65年後の661年に、額田王(ぬかたのおおきみ)が道後を訪れて詠んだ「熟田津の歌(にぎたつのうた)」は、万葉集初期の代表作となっており、さらに52年後の713年には山部赤人が聖徳太子の碑文や歴代天皇の行幸を懐かしんで歌を詠んだ。その歌は神の湯男性浴室の湯釜に刻まれている。 

松山は、俳句ポストが設置されていたり、正岡子規の出身地であることから文学的価値の高い街として知られているが、文学の歴史を辿ると、その価値ははるか昔から熟成され続けてきたのだと感じる。

道後温泉 本館

青空の下、道後温泉本館正面の画像

この重厚でどっしりと構えられた趣のある建造物こそが、道後温泉の本館だ。現在の本館は1894年に建てられ、歴史的建造物としての価値から1994年に国の重要文化財に指定されている。観光資源となっている文化財は数あれど、実際に入浴できる公衆浴場の文化財は道後温泉のほか、数か所しかない。街の中央にどしんと鎮座する明治の魂が籠ったこの温泉には、異界を思わせる荘厳な迫力があり、アニメ映画「千と千尋の神隠し」で劇中に登場する湯屋の、外観資料の一つになっている。 

愛媛に教師として赴任していた夏目漱石が好んで通っていたことでも知られ、小説「坊ちゃん」内にも登場する。彼が頻繁に使用していたかつて「上等」と呼ばれていた休憩室を「霊(たま)の湯三階個室」として追加料金で利用することができる(90分交代制) 。

浴室は二種類あり、一つは大衆用に作られた「神の湯」だ。壁には愛媛の伝統工芸品である砥部焼(とべやき)の陶板が飾られている。また、男湯には「坊ちゃん泳ぐべからず」の木札があり、これは小説内で、誰もいないのをこれ幸いと広い湯船で泳ぐことを日課としていた坊っちゃんだったが、実はバレていて「湯の中で泳ぐべからず」の札を貼りだされてしまったことが元となっている。是非確かめにいっていただきたいが、ネタフリではないので実際に泳いではいけない。 

もう一つは「霊の湯」で、これは天皇や皇室の随伴者、政府要人のために作られた浴室だ。現在では一般客でも利用可能で、日本三大花崗岩の一つである庵治石(あじいし)や、しまなみ海道の通る大島で採掘される最高級の石材・大島石、壁には大理石を使った高級感ある造りとなっている。霊の湯は地下にあり、神の湯に比べてそれほど大きくはないが、落ち着いてゆっくりと入浴することができる。 

道後温泉又新殿の画像

また、霊の湯休憩室を利用した場合、皇室専用の浴場である又新殿(ゆうしんでん)を拝観することが可能だ。陛下が御訪問された時しか開かない御成門の紹介から始まり、銀箔や金箔で彩られた豪華な玉座の間や御居間を見学し、最後は専用浴室の御湯殿にお目にかかることができる。宝珠には「健歩如故(けんぽもとのごとし)」と刻まれていて、これには白鷺が足を癒した伝説にあやかり、元のように健康に歩けるようにという意味が込められている。そのありがたさに、筆者は見ただけで健康になったかのような気分になった。

霊の湯休憩室の画像

道後温泉の二つの別館 

道後温泉別館 飛鳥乃湯泉の門の画像

さらに道後温泉には二つの別館がある。一つは「椿の湯」で、シンボルの椿は聖徳太子が「天寿国(てんじゅこく)の様だ」と褒めた椿の森にあやかったものだ。こちらは大人450円とリーズナブルな価格で入ることができ、地域住民の生活には欠かせない「親しみの湯」である。安いからといって侮ることなかれ、源泉は本館と変わらないものが使用されており、さまざまな効能がある。 

もう一つは椿の湯と渡り廊下で繋がった飛鳥乃湯泉だ。こちらは2017年に建設された新設のものだが、そのコンセプトは「太古の道後」だ。飛鳥時代の建築様式を取り入れている上、又新殿をモチーフとした特別浴室を備えている。

さらに、今治タオルで椿の森をモチーフとした「椿の間」を作ったり、浴室内では道後温泉伝説をプロジェクションマッピングで解説したりと、伝統工芸と最先端技術、そして太古へのリスペクトが融合した素晴らしい入浴施設だ。まさに温故知新の象徴といえるだろう。 

変わりゆくものと変わらぬもの、その二つを武器に道後温泉は今日も湯けむりとともに人々を温かく迎える。 

ライター:大阪芸術大学 文芸学科 鎌田

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もっと知りたいあなたへ

道後温泉公式サイト
https://dogo.jp

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