2025.12.18

山口市、日本のクリスマス発祥のまち~470年の歴史と絆~

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「クリスマス」と聞いて、皆さんはどのような風景を思い浮かべるでしょうか。雪景色、サンタクロース、そして、華やかなツリーやイルミネーションでしょうか。海外からの風習がイベントとして日本に根付いたものという認識かもしれません。しかし、この日本においても、最も歴史と伝統を感じながらクリスマスを迎えることができる特別な場所があります。それが、山口県山口市です。

「12月、山口市はクリスマス市になる」という合言葉を掲げ、毎年12月になると街全体がその歴史を体現するような賑わいを見せます。単に西洋の行事を模倣するのではなく、この地が持つ特別な歴史的背景に基づいた、地域文化としてのクリスマスが息づいているのです。

今から約470年前に遡り、日本のクリスマスがどのようにしてこの地で始まり、そして、その歴史がどのようにして現代の地域創生と「ものづくり」へと受け継がれてきたのかを、詳しく紐解いていきます。さらにこの地を訪れることで、皆さんの知っているクリスマスの概念は、きっと、もっと深く、温かいものへと変わることでしょう。

1552年、サビエル(※)が灯した日本の降誕祭(クリスマス)

※ 山口県では、「ザビエル」を濁音で呼ばず、「サビエル」と呼ぶのが長い間の習わしとして根付いているため、このコラムでも「サビエル」で統一します。

山口サビエル記念聖堂のステンドグラスの画像

日本のクリスマスが山口から始まったという歴史的記録は、1552年(天文21年)にまで遡ります。

イエズス会の宣教師フランシスコ・サビエルは、布教活動の一環として周防国(現在の山口県)を訪れていました。サビエルは、当時、周防の戦国大名であった大内義隆と深い信頼と絆で結ばれる関係を築いていました。義隆は、京の文化にも造詣が深く、異文化に対して非常に寛容な姿勢を示していた人物です。サビエルは義隆との厚い絆のもと、現在の山口市金古曽町(かなこそちょう)にあった大道寺に滞在し、熱心に布教活動を行いました。

サビエルが山口を去った後、残った宣教師トルレス神父らによって、大道寺を譲り受けた跡地に日本で最初の常設教会堂が建てられました。そして、1552年12月24日(旧暦12月9日)、この教会堂で日本人信徒とともに降誕祭が初めて祝われました。この史実に基づき「日本で初めてクリスマスが祝われたまち」として、2006年、山口市は、サビエルの出生地スペインのナバラ州よりクリスマス発祥の地として認定されました。

この記録は、山口が単なる「クリスマスイベント開催地」ではなく、「日本文化が初めて西洋文化と出会い、共存を試みた歴史の現場」であることを物語っています。大内氏の寛容な文化政策がなければ、この歴史的な降誕祭は実現しなかったでしょう。山口のクリスマスは、大内氏の寛容さとサビエルとの深い「絆」から生まれた、稀有な歴史遺産なのです。

「空白の時代」と現代への継承、歴史を掘り起こした人々の熱意

しかし、山口で灯されたクリスマスの光は、その後すぐに長い冬の時代を迎えます。

大内義隆が志半ばで倒れ、その後の豊臣秀吉、そして徳川幕府による「禁教令」によって、キリスト教の信仰は厳しく制限されました。日本全国でキリスト教は「邪教」と見なされ、信徒たちは厳しい弾圧に晒され、宣教師たちも追放されます。山口で始まった日本のクリスマスもまた、表舞台から姿を消し、約300年にわたる「空白の時代」に入ることになります。

キリスト教が再び日本で信仰の自由を得るのは、明治時代に入り、日本が開国を迎えてからのことです。

では、山口でクリスマスを祝ったという歴史的事実は、どのようにして現代に蘇ったのでしょうか。それは、「人」の熱意と探究心によるものでした。

歴史的な書簡に記された「1552年のクリスマス」の記録は、近代になり歴史研究者によって再発見されます。そして、この事実を地域固有の文化として継承しようと立ち上がったのは、山口市の市民たちでした。

1987年、焼失した山口サビエル記念聖堂が献堂されたことをきっかけに、山口市は「日本のクリスマスは山口から」を合言葉に、「クリスマス市」の取り組みをスタートさせます。これは、単に歴史的事実を記念するだけでなく、かつての周防国で栄えた大内文化の復興と、文化都市としての山口の地位を再び確立しようとする市民運動でもありました。

2008年4月には「日本のクリスマスは山口から実行委員会」が設立され、現在に至るまでこのムーブメントを支えています。

空白の時代を経て、一度途切れたかに見えた歴史を、市民一人ひとりが「継承者」として再び結びつけ、現代に息吹を与えたのです。この市民の熱意こそが、山口のクリスマスの最大の魅力であり、KURAFTが大切にする「地域の資源を活かす精神」そのものといえるでしょう。

地域文化となった「クリスマス市」、山口のクラフトマンシップと食

大内雛の人形の画像

市民の熱意によって復活した「日本のクリスマス」は、現在、山口市の地域創生とクラフトマンシップの源泉となっています。

山口市は、この歴史的なクリスマスを「市」として盛り上げるため、ヨーロッパの伝統的な「クリスマスマーケット」を参考に、地域色豊かなイベントを展開しています。これは、単に街を彩るだけでなく、地元の「もの」と「食」の魅力を発信する絶好の機会となっています。

特に注目すべきは、地元のクラフトマンシップです。

山口県は、萩焼や大内塗といった伝統工芸品が豊かな地域です。クリスマス市の期間中には、これらの伝統技術を活かした特別なクリスマスアイテムが数多く登場します。例えば、「大内人形」(大内塗で作られた一対の木製人形)は、その丸みを帯びた温かいフォルムから、クリスマスのオーナメントやギフトとして人気を集めています。またクリスマスリースとしても使えるしめ縄を作るワークショップや、クリスマスツリー木工教室なども行われ、この時期ならではの限定としてクラフトマーケットを賑わせます。

これは、西洋のキリスト降誕祭というテーマに、日本の職人が持つ「手仕事の美学」を融合させた、山口独自のクラフト文化と言えるでしょう。

また、「食」の文化も欠かせません。

山口県は新鮮な魚介類や農産物が豊富な地域です。クリスマスマーケットでは、地元の食材をふんだんに使用したクリスマス限定の特別メニューが提供されます。「恋するピンチョス」と名付けられた食事を楽しむイベントでは、日本の食文化と西洋のクリスマス料理が見事に融合した味が楽しめます。

以前私がこの「クリスマスマーケット」を訪れて心に残ったのは、その光景が放つ、どこか懐かしい「和」の温かさでした。

湯気が立つ屋台の周りで、人々は地酒を片手に語り合い、和紙の照明から漏れる柔らかな光が街を照らします。煌びやかなネオンではなく、手作りのぬくもりが感じられる控えめな光は、470年前にサビエルが感じたであろう、厳かな祈りと温かい交流の感覚を現代に蘇らせます。

都会の喧騒から離れたこの場所で、伝統工芸や地元の食という体験を通じ、歴史が人から人へと手渡される瞬間を目撃しました。「日本のクリスマスは山口から」という合言葉は、単なるスローガンではなく、地元の手仕事と食を通じて「温かい日本のクリスマス」の新しい形を提案し続けています。ぜひ一度、この地に触れ、470年の歴史と温かいクラフトマンシップを感じてみてください。

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もっと知りたいあなたへ

おいでませ山口へ~山口県観光サイト~
https://yamaguchi-tourism.jp/event/detail_16244.html
クリスマス市 山口(日本のクリスマスは山口から実行委員会)
https://xmas-city.jp/

本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。

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