2025.5.26

ちくわ〜私たちの日常の食卓を支える、愛すべき脇役〜

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日本の食卓において、そして私の食生活においても「ちくわ」はまさに縁の下の力持ちとも呼べる存在である。決して主役を張るような目立つ存在ではないが、弁当の片隅やおでんの中で静かにその旨みと存在感を発揮する。実はこのちくわ、深い歴史と地域色豊かな文化を持つ、奥深い食材なのである。

ちくわの歴史、その起源と名前の由来

ちくわの起源は弥生時代とも平安時代ともいわれ定かではない。伝説的な話ではあるが、日本書紀に、神功皇后が三韓渡航の途中、九州生田の杜(現在の小倉)で、鉾の先に魚肉をつぶしたものを塗りつけ焼いて食べたという記述がある。

その形状が、植物の蒲(がま)の穂に似ていたことから蒲穂子と呼ばれた。それが転じて「蒲鉾」と呼ばれるようになったといわれる。

白い板付蒲鉾の画像

しかし、ちくわの話なのに蒲鉾。愛するちくわはどこに現れるのであろうか。

文献には室町時代に登場する。享祿元年(1528年)に著された「宗吾大双紙」に「かまぼこ」、貞享元年(1684年)の「雍州府志」には、「ハモのすり身を竹茎に塗りつけて焼いたものを蒲鉾という(意訳)」という記述がある。さらに「竹輪の方が昔からあるもので、板の上にすり身を盛って加熱する板付蒲鉾の方が新しいものだ(意訳)」と書かれている。

ただ、これで「ちくわ」が確定したわけではなかったらしい。

蒲鉾(ちくわ)も板蒲鉾も、白身魚のすり身を用いた食べ物で上流階級の武家しか食べられないものだったが、江戸中期以降は、武士、商人、町人へと広まっていった。ところが幕末になると、下級武士は食べられない高級品となってしまったが、一方で裕福な商人は贅沢をするようになり、それを武士が咎める世の中になった。

そこで庶民は、武士に対しての気兼ねから隠語として「ちくわ」と呼ぶことにした。切った姿が竹の輪切りに似ていることから「竹輪蒲鉾」としたが、さらに省略され「竹輪」となったということである。

近代以降は、冷蔵技術の発達により、ちくわは全国に広まり、各地で独自の進化を遂げた。今では、原料となる魚や製法によって、さまざまなバリエーションのちくわが存在する。

ちくわにまつわる豆知識

ちくわの製造工程の画像

ちくわは見た目の地味さに反して栄養価が侮れないスーパー食材である。主成分である魚のすり身には、良質なたんぱく質が豊富に含まれており、脂肪分は控えめ。保存性も高く、冷蔵庫に常備しておくと何かと便利なのだ。また、ちくわの穴は単なる製法の都合ではなく、火の通りを良くするという理にかなった設計なのだという。

そして面白いのは、ちくわの長さに規格があること。JAS(日本農林規格)では「普通ちくわ」「細ちくわ」「太ちくわ」と分類され、それぞれ長さや重さに一定の基準が設けられている。

さらに、「生ちくわ」と「焼きちくわ」という分類もある。そのままで食べられるものが生ちくわで、プリっとした食感が特徴。焼きちくわは煮込み料理やおでん用として、焼き目を斑点状に付けて焼いたものである。

ちくわを味わう:人気のちくわ料理

ちくわはそのままでも十分おいしいが、アレンジの幅も広い。代表的なのは「ちくわの磯辺揚げ」。青のりを混ぜた衣でサクッと揚げた一品は、子どもから大人まで大人気だ。家庭料理としては「ちくわきゅうり」も定番。中央の空洞にキュウリを差し込むだけの簡単レシピだが、その食感とさっぱりした味わいは、酒の肴にもピッタリ。

お皿に載せたちくわパンの画像

また最近では、「ちくわパン」という新しいスタイルも登場。北海道・札幌市発祥のこのパンは、ちくわの中にツナやチーズを詰め、それをパン生地で包んで焼いたもので、コンビニなどでも見かけるようになっている。

熊本県では、「ちくわサラダ」が有名。彼の地のお弁当チェーン店の名を全国区にしたこのちくわサラダは、ちくわの中にポテトサラダを詰めて衣をつけて揚げたものだ。おいしいものとおいしいものを組み合わせて、もっとおいしいものを作ってみようという発想から生まれた商品で、シンプルながら間違いのない味のお惣菜として人気を得ている。

地域色が光る「ちくわ」の名産地巡り

ちくわの名産地としてまず挙げられるのが愛知県・豊橋市。ここは生産量全国一を誇る、まさに「ちくわの町」だ。中でも「ヤマサちくわ」は文政10年(1827年)創業の老舗で、四国の金比羅さんへお参りをした魚問屋の佐藤善作が、その地で作られていた「ちくわ」をヒントに豊橋でも作り始めた。

この豊橋のちくわは、魚類が不足する信州への山の中へ「塩の道」を通って運ばれていた。ちくわの穴に塩を詰め、さらに塩漬けにした「塩漬けちくわ」が山中の人々へ届けられた。食べるときには川の水に一昼夜浸して塩抜きをして食べたのだそうである。それがまた大変に塩梅がよく、人気だったといわれる。

他の産地を見てみよう。全国にちくわを名産としてうたっている土地は数多くある。海に囲まれた日本、魚を使った産品はたくさんあるが、ちくわや蒲鉾はその代表的なものだ。

都道府県市町村代表商品名
青森県青森市ぼたん焼ちくわ(イゲタ沼田)
宮城県石巻市ぼたん焼ちくわ
千葉県銚子市白ちくわ
鳥取県鳥取市とうふちくわ(前田商店など)
鳥取県鳥取市あごちくわ(前田商店など)
島根県出雲市野焼きちくわ
岡山県岡山市豆ちくわ
愛媛県八幡浜市皮ちくわ(谷本蒲鉾店など)
愛媛県四国中央市えびちくわ
徳島県小松島市竹ちくわ
愛知県豊橋市豊橋ちくわ(ヤマサちくわ)
兵庫県姫路市ちくわ(ヤマサ蒲鉾)
広島県廿日市市あなご竹輪(出野水産)
熊本県八代市日奈久ちくわ
長崎県長崎市揚げちくわ
山口県下関市灰色ちくわ

このほかにもたくさんの小さな生産者が各地に存在している。さすが名脇役ちくわ、津々浦々にて地味だけれど大人気なのである。

再興するちくわ産業とその未来に向けて

ちくわの穴から未来を覗く画像

しかし、ちくわ業界も例外なく食の多様化と人口減少の影響を受けて、一時は衰退の危機に立たされた。特に地方の小規模メーカーは、後継者不足や流通網の変化に対応できず、廃業を余儀なくされるケースもあった。

そんな中、希望の光となったのが地元ブランド化や観光との連携だ。たとえば「ちくわ体験工房」を開設し、観光客が自分でちくわを焼ける体験型エンターテインメントを導入。これがSNSで話題となり、若年層の関心を引きつけた。

また、オンライン販売を強化することで、地域外からの注文が増えた老舗メーカーもある。こうした取り組みが実を結び、ちくわは再び、日本の食文化を支える柱として、注目を集めつつある。

地味だけれど、なくてはならない。そんな「ちくわ」の姿、いや穴には、日本人の食文化に対する工夫と愛情が詰まっているのだ。これからも変わらぬ旨さで人々の心と食卓をつなぎ続けてくれることを願ってやまない。

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もっと知りたいあなたへ

日本かまぼこ協会
https://www.nikkama.jp/

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