就職活動のはじまり<挫折と転機>
大学三年生の冬。僕は絶望していました。テレビやネットから伝わってくる社会人に関する厳しい現実、求められる責任。「社会に出たら、学生時代のように気軽にはいかないよ」という先生からの言葉。すべてが呪いのように僕の体を重くしていたのです。
頑張って参加した企業説明会のプレゼンもすべて建前にしか思えませんでした。アットホームな職場とか嘘の香りしかしない。確実な情報は、所在地と業務時間、月給くらい。けれど、僕が知りたかったのは、そこがどんな場所かでした。言い換えれば、どんな人がいて、僕の特性を受けいれてくれるかでした。もちろん、それは、実際に企業に入ってみないと分かりません。けれど、その見通しが立たないと、不安で決めることができないのです。
僕は、高校生の頃にASDとADHDの診断を受けました。受験勉強や学校生活のストレスによる二次障害でうつになったことがきっかけです。ADHDの不注意症状は、投薬治療でそれなりに改善されましたが、こだわりに効く薬はありません。それで、大学時代は、文章を書くのにとても苦労して、レポートの〆切延長や、最終試験を口頭発表に代替してもらうなどの合理的配慮を受けていました。
そんな僕にとって一番心をへし折ったのはエントリーシートでした。特に「自分の強み」という項目。本当に自分の長所が分からないのです。不注意傾向が強く、失敗続きだった僕の人生は挫折だらけでした。子供のころから芸術面だけは、才能があるとほめられ、真剣にやっていましたが、学校生活はからっきしでした。居眠りして授業は聞かず、英単語や公式は覚えられず、時間割は親の助けなしでは合わせられず、感想文が書けずにいつも母に代筆してもらい、テストは常に平均点以下。コミュニケーション力は表面上ありましたが、関係を築くのは苦手で、友達も少なかったです。
芸術が唯一の強みでしたが、それは人に教えたくはありませんでした。「余興で演奏してくれよ」とか言われるのが、とても嫌で、評価されるのも苦手だったからです。ただ、そうするといよいよ書くことが何もありません。一度、大学のキャリアセンターにも相談に行き、テンプレを教えてもらいましたが、どの長所も、ただのメッキやハリボテに思えてしまい、結局、僕はシートを書き進められず、あきらめてしまいました。
その後、クリエイター方面で働き口がないか、アプローチしてみました。良い返事がいくつかもらえ、尊敬していた方と直接お話して褒めていただける機会もあり、とても嬉しい経験ができました。ただ、いざ、話を聞くと、クリエイターのスケジュールはとてもハードで、一人暮らしも求められました。けれど、 僕はADHD症状が強く、生活力がないので家族の支えが必要です。それに、十代のころ、ごく普通の学校生活に耐えきれず、2か月ほど寝込んでいた経験もあります。もう二度とあんな風にはなりたくなかった。そうした自分の事情も先方に伝えましたが「作家はみんなそうだよ」の一言で一蹴され、僕個人の事情は考慮されず、結局、話はおじゃんになりました。
その後、追われるように卒業研究に入りました。それがまた大変でした。アイデアが頭の中に飛び交っていますが、中々文章にまとまらず、全く筆が進みません。気づけばあっという間に〆切間近になり、ギリギリまで追い詰められながら、当日の午前4時に何とか書き上げ、フラフラのまま大学に行き、論文を提出しました。この時点で就活は全くしていません。
幸い僕の親は「生きていればそれでいい」くらいの考え方の人だったので、趣味のためのお金は稼ぎたいから、適当にアルバイトをして生きていこうと思っていました。そして、ふと、寝ぼけた頭で思いたち、お世話になった先生に最後のあいさつに伺いました。そこで、先生から「社会に出る前のステップとしてうちで非常勤の事務員として働いてみないか?」と誘われました。
これが転機でした。その先生の人柄は知っています。僕の発達障害のことも理解してくれています。「ここなら、働けるかもしれない」そう思いました。地元のアルバイトと比べれば時給は良いし、残業もない。何より、出勤時刻が朝10時。睡眠が乱れやすい夜型の僕にとって、これはとても魅力的でした。しかし、懸念がありました。僕は文章が書けないのです。

はじめての社会人生活 <発達障害に事務仕事が務まるのか?>
まず、障害者雇用枠のポストだったので、障害者手帳をすぐに取得しました。これは、後から知ったのですが障害を開示の有無で悩む方も多いそうです。ただ、僕は特に抵抗がありませんでした。僕にとって重要なのは、周囲が自分の障害を知ってくれているという安心感です。誤解を恐れずに言えば「ミスをしても事情があるので、仕方ない」という免罪符がほしかったのです。
大学事務員の枠自体は、公募だったため、エントリーシートや面接、筆記試験がありました。1年前につまずいたエントリーシートは母と共作で何とか書き上げ、面接や筆記試験も対策して臨みました。そして、無事に採用されました。
実際に働いてみてまず感じたことは、想像していたよりずっと気楽だったことです。まず、宿題と定期テストがありません。一夜漬けタイプの僕にとってこれは最高でした。それに、学生時代は、自宅だと、漫画やスマホなど気を散らすものがありすぎて、タスクに全く取り組めませんでした。しかし、職場であれば、仕事をする機器だけが目の前にあり、人の目という監視がある。これがとてもよかった。それにしか取り組めない状況になれば、意外とできる自分に気づけました。
人付き合いも気楽でした。クラスメイトや友達といったプライベートにまで踏み込むような関係はなく、あくまで、一人の大人として、一定の距離を保ち、みんな接しています。それが僕には心地よかった。それと、事務には暗記力が求められません。僕はワーキングメモリー(一時記憶)が弱いのですが、社会人の業務は、常にカンニングOKです。これは本当に大きかった。重要な単語はメモしておけばいいし、知らない言葉はスマホで検索すればいい。過去の資料も共有フォルダにある。タスクも常にPCのリマインダーや付箋に書いて確認できる。補助脳がいくらでもあるのです。
ただ、簡単ではないこともありました。学生時代にもっとも困難だった文章の作成です。これは事務仕事にとっては基本中の基本です。僕は、レポートだけでなく、メールやチャットも苦手でした。学生時代は、連絡が来てもほぼ返信しませんでした。何を相手に返せばいいのかわからないのです。
しかし、仕事をはじめて分かってきたのは、事務の世界の文章には明確なお手本がある、ということです。それまで僕は芸術の世界に浸っていて、いかに独自性を出すか。自分なりの表現をするか。それがすべてでした。論文や研究もそれと似たところはあります。しかし、はじめ、その価値観で事務文書を作ったら、ほぼすべての文章に赤字が施されて返ってきました。これはショックでした。
そして、その修正内容は、ありきたりな語彙で、わかりやすく事実を並べた文章でした。異様なくらいに「あっさり」していたのです。それに、校正チェックも厳しい。接続詞はひらがな、半角全角の統一、数量は数字で書く、正式名称と略称の扱い方などなど。あとは厳密なダブルチェックですね。
最初に教えてくれたベテランの事務員さんが、そのあたりの業務やマナーに長けた方だったので、かなりビシバシ教育されました。はじめは、自分が否定されたような気がしては強い怒りを覚えました。けれど、ふと母の言葉を思い出しました。「誰かの意見は素直に受け入れなさい」「助言を拒む人は孤立して、成長が止まる」。ずっとそう教わってきました。常に成長していたい。新しくありたい。それが僕の中で大事な価値観でした。
僕の場合ASDの特性から、どうしても物事の枝葉に目が向いてしまいますそして、枝葉を変えると本質まで変わる、と感じて人の意見を拒否しがちでした。しかし、それは多くの場合、自分の思い込みであり、単なる反射的な反応でした。それで、「自分は、謙虚な態度にならなければいけない」と考えるようになりました。
それから意識的に、指示に納得いかないときは、「ASDから来る拒否反応でそうなっていないか」を自問するようにしました。そして基本的に、指示があった際は、全てその通りに直すようにしました。一旦、納得はいりません。内容の理解だけでいいのです。口答えもしない。感情やこだわりをこめずに作業しました。
これがやってみると、案外よかった。仕事がスムーズに運び、周りからも褒められます。何より、上司や同僚の意見を取り入れたものは、多少形を変えても、結局、本質の幹は変わらず、むしろ、より太く、豊かになっていました。そして、納得感や達成感は後から追いついてきました。それを何度も経験していく中で、僕の価値観が変わっていきました。誰かの意見を取り入れることに価値を覚えるようになったのです。
僕が入り浸っていた世界とは違い、個人のクリエイティビティは事務では求められていません。しかし、逆にこの職場におけるクリエイティビティは「自分が思い描くものではなく、求められているものをいかに生み出すかだ」と考えるようになりました。すると、色んなものが面白くなります。
自己表現とは異なり、己の思想、歴史、哲学をぶち込む必要はなく、そのときに大事な情報をまとめあげることに注力すればいいのです。そして、場数を重ねるほどに、文章作成のスピードもあがっていきました。一番ポイントになったのは指示の趣旨を理解する力の習得でした。具体的に言えば、適切なメモを取る能力です。どこを修正するのか、なぜそれが必要なのか、情報をくみ取る力です。
もちろん、不注意による聞き逃しも多いため、人より確認は多くなってしまうことをあらかじめ断った上で、作業をこなすようにしました。そうして、苦手だと思っていた文章作成がだんだんと得意になり、花開いていきました。
また、働く前にあったもう一つの懸念は、ADHD特性と事務作業という、一見、マッチングの悪いものが両立できるのか、ということでした。ただこれに関しては、僕の場合、投薬が効きました。主治医に相談し、薬の調整を行いながら、不注意症状の緩和を図りました。また、ストレスがかかると眠れなくなることがあるため、その点についても主治医に相談しながら対応していきました。そうしてバランスを取って、馴れていったのが最初の3年間でした。
(後編につづく)