2026.1.29

文豪が愛した風景を巡る・小説と歩く日本紀行4〜京都・金閣寺~

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美しすぎるがゆえに

「金閣を焼かなければならぬ」

三島由紀夫(みしまゆきお)の長編小説「金閣寺」は、この強烈な意志から生まれた物語。美に魅了されながらも、その絶対的な美しさに圧倒され、やがて破壊へと向かう青年の心理を描いた傑作である。吃音を持ち、容姿にコンプレックスを抱える主人公が、なぜ世界一美しいとされる金閣を焼かなければならなかったのか。その問いは、読者の心に深く刺さる。

この物語は、実際の事件をもとにしている。 1950年7月2日、国宝だった京都・鹿苑寺(ろくおんじ)の金閣が、寺の修行僧によって放火され全焼した。犯人の林養賢(はやしようけん)は当時21歳。彼が取り調べで語った「美への嫉妬」という動機に、三島は深い関心を抱いた。そして6年後、この事件を題材にした小説「金閣寺」を発表。三島の最も成功した代表作となった。

金色に輝く極楽浄土

京都市北区、きぬかけの路を進むと、突如として現れる黄金の建築、鹿苑寺金閣。正式名称は鹿苑寺だが、あまりにも金閣が有名なため、一般には金閣寺と呼ばれている。

足利義満が1397年に建立した三層の楼閣。一層目は寝殿造、二層目は武家造、三層目は禅宗仏殿造と、異なる建築様式が見事に調和している。そして、二層と三層の外壁には金箔が貼られ、陽光を受けてまばゆく輝く。鏡湖池(きょうこち)に映る金閣は、まさに極楽浄土を現世に再現したかのようだ。

だが、この美しさは再建されたもの。1950年の放火によって、室町時代から続いた国宝は灰燼に帰した。火災により、足利義満像や観音菩薩像など貴重な文化財も多くが失われた。現在の金閣は、1955年に再建され、1987年の昭和大改修では20キロもの金箔が使われた。創建当時よりもはるかに輝きが増したといわれる。

観光客は年間を通じて絶えない。国内外から、この黄金の輝きを一目見ようと、人々が訪れる。拝観受付を過ぎ、参道を進むと、視界が開ける。そして、池の向こうに佇む金閣。その瞬間、誰もが息を呑む。写真で何度も見たことがあるはずなのに、やはり実物の美しさは格別なものだ。季節ごとに異なる表情を見せ、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪、どの季節も金閣を引き立てる。

焼かれた美の意味

「金閣寺」の主人公は、父親から「金閣ほど美しいものはない」と聞かされて育つ。だが実際に金閣を見たとき、彼は失望する。想像していたほど美しくない。それでも、彼は金閣に取り憑かれていく。美に対する憧れと、同時に劣等感。美しくない自分、吃音を持つ自分。金閣の完璧な美しさが、自分の不完全さを際立たせる。

三島は、この複雑な心理を丹念に描き出す。主人公が金閣に向ける感情は、愛憎入り混じったものだ。美しいからこそ憎い。永遠であるからこそ破壊したい。そして、戦争が終わり金閣が焼け残ったとき、主人公の中で何かが決壊する。「金閣を焼かなければならぬ」。

実際の犯人・林もまた、複雑な動機を抱えていた。貧しい家庭に育ち、病弱で、吃音を持っていた。金閣寺で修行する中で、寺の商業化や師匠への不信感を募らせていった。そして「美への嫉妬」。完璧な美が、自分の不完全さを責め立てるように感じられたのかもしれない。

林は放火後、裏山で自殺を図ったが果たせず、逮捕された。懲役7年の判決を受けたものの、恩赦で出所したが半年後に結核で死去。わずか26年の生涯だった。彼が焼いた金閣は、もう戻らない。だが、その行為は文学となり、永遠に語り継がれることになった。

観光地としての現在

金閣寺 山門の画像

現在の金閣寺は、京都を代表する観光スポットといえる場所だ。拝観料は500円で、チケットは「お札」の形をしている。参拝者は、このお札を持ち帰り、家に飾ることもできる。

境内は回遊式庭園になっており、金閣を様々な角度から眺めることができる。鏡湖池に映る「逆さ金閣」、木々の間から覗く金閣、遠くから全景を見渡す金閣。どの場所からも、その美しさは変わらない。むしろ、角度によって異なる表情を見せ、飽きることがない。

金閣寺・不動釜茶所の画像

夕照庵(せきしょうあん)、茶室も見どころ。夕日に照らされた金閣の美しさから名付けられたという茶室は、質素ながら風情がある。そして、龍門の滝、安民沢(あんみんたく)など、庭園の細部にも意匠が凝らされている。足利義満が思い描いた極楽浄土の世界が、ここには広がっている。

外国人観光客も多い。英語、中国語、フランス語、さまざまな言葉が飛び交う。皆、金閣の前でカメラを構え、写真を撮る。SNSに投稿し、世界中に金閣の美しさを発信する。1950年に失われた金閣は、再建後の今は世界中の人々に愛される存在になった。

美は破壊を招くのか

三島が「金閣寺」で問いかけたのは、美とは何か、そして美に対する人間の関係性。絶対的な美は、人を魅了すると同時に、破壊衝動も引き起こす。完璧なものは、不完全な存在である人間にとって、脅威でもあるということだろう。

現代の金閣寺を訪れると、この問いがより鮮明になる。観光客で賑わう金閣は、もはや静謐な寺院ではなく、一種のテーマパークのようにも見える。人々はスマートフォンを掲げ、金閣をバックに自撮りをし、次の観光地へと急ぐ。「美」は消費されるもの、体験されるものになった。

だが、ふと人混みが途切れた瞬間、金閣は本来の姿を取り戻す。池に映る黄金の影、風に揺れる水面、静かに佇む建築。その美しさは、確かにそこに在る。人々がどう消費しようと、金閣の美は変わらない。それは、三島が描いた「絶対的な美」そのものなのだ。

「金閣寺」の主人公は、金閣を焼くことで美から解放されようとした。だが、本当に解放されたのだろうか。三島自身もまた、美を追求し続けた作家である。そして、自らの死をも「美」として演出した。1970年、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げる。その衝撃的な最期は、まるで小説の一場面のようだった。

再建された美の意味

雪化粧をした金閣寺の画像

金閣寺の再建には、全国から寄付が集まった。国宝を失った悲しみと、もう一度あの美しさを見たいという願い。5年という短期間で再建が完了したのは、人々の思いの強さを物語っている。

さらに、昭和の大改修があった。バブル期の日本は、惜しみなく金箔を使い、金閣をより豪華にした。創建当時よりも美しくなったといった意見もある。

だが、それは本当に良いことなのだろうか。失われたものを取り戻すことはできない。再建された金閣は、オリジナルではなくレプリカ。それでも、人々は美しいと感じる。

ここに、美の本質がある。美は、物質そのものではなく人々の心に宿るもの。金閣が焼けても、人々の心の中に金閣の美は残った。だから再建された。そして、新しい金閣もまた、美しいと感じられる。三島が描いた「絶対的な美」は、実は絶対的ではなく、相対的なものなのかもしれない。

物語が息づく場所

金閣寺を訪れる人々の中には、「金閣寺」を読んできた人も多い。小説の舞台を実際に歩くことで、物語がより深く理解できる。主人公が見た金閣、彼が歩いた境内、そして彼が放火を決意した場所。それらを想像しながら歩くと、金閣寺は単なる観光地ではなく、文学の舞台として立ち現れる。

三島は、事件を詳細に調べ上げ、犯人の心理を深く掘り下げた。だが、それは単なるルポルタージュではなく、美と破壊をめぐる哲学的な小説に昇華された。だからこそ、「金閣寺」は今も読み継がれているのだろう。

京都という古都、金閣という美の象徴、そして放火という衝撃的な事件。これらが組み合わさることで、「金閣寺」は特別な作品になった。もし金閣が焼かれていなければ、この小説は生まれなかった。だが、金閣が焼かれたことで、多くの文化財が失われた。美と破壊は、常に背中合わせというわけだ。

現代の金閣寺は、その歴史を静かに物語っている。再建された黄金の建築は、失われた過去と蘇った現在の両方を体現している。観光客で賑わう境内は、商業主義と精神性の狭間にある。そのすべてが、金閣寺という場所の複雑さを表している。

文学の舞台を訪ねる旅は、作品をより深く理解するための行動である。三島由紀夫が描いた金閣、林養賢が焼いた金閣、そして今ここに在る金閣。それぞれが異なる意味を持ちながら、同じ場所に重なり合っている。金閣寺は、美の象徴であると同時に、破壊と再生の物語でもある。その複雑さこそが、この場所の本当の魅力なのかもしれない。

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臨済宗相国寺派金閣寺(鹿苑寺)
https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/

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本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。

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