2026.1.26

独学で曲げわっぱの道を拓いた父と、職人で経営者でもある息子の物語(秋田県大館市:柴田慶信商店)

- SNSでシェアする -

秋田県大館市(おおだてし)にある「柴田慶信商店」は、伝統的工芸品の「大館曲げわっぱ」を作っている。曲げわっぱとは、杉の木を曲げて、弁当箱やお盆、箱などに加工したもの。百貨店や和雑貨の店、美しいお弁当の画像をアップするSNSなどで見かけたことがある人も多いだろう。

日々の暮らしに寄り添う道具でありながら、新しい挑戦を続ける曲げわっぱの匠、伝統工芸士でもある代表取締役の柴田昌正さんに、柴田慶信商店の歩みについて話を聞くことができた。

その原点には、独学で伝統工芸に挑んだ父と、揺らぎなくそれを継いだ二代目の対話があった。

弟子入りせず、独学で製作を始めた父

柴田慶信商店初代・取締役会長柴田慶信さんの画像

−柴田慶信商店の始まりについて教えてください。

柴田昌正代表取締役(以下、柴田):私たち柴田慶信商店の創業者である父、柴田慶信は農家の次男として生まれたのですが、長男が足を悪くしたために、実質長男の役割をしなければならなくなり働いていました。農家のかたわらに、営林署の仕事で山の木を伐って下ろすなどの重労働を続けていましたが、大変にきつかったようで、「いつか辞めたい」と思っていたそうです。

そんな時に、「伐っている杉で曲げ物を作る伝統工芸がある」と教えてもらったのです。その時にはすでに子どもも生まれていて稼がなければいけなかったのですが、やはりどうしても曲げ物をやってみたい。でも、弟子につく余裕はなかった。だから、よその人が作った古い曲げわっぱを集めて、仕組みを研究して独学でこの業界に入っていきました。

うまくいかなくて、癇癪を起こして投げてしまうこともあったそうです。

それを母が拾って、「もう一回やってみよう、もう一回」って。その繰り返しが、うちの原点になるわけですが、そうこうしている間、1980年(昭和55年)に大館曲げわっぱが伝統的工芸品に指定されました。父はその時に、大館曲げわっぱが「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(通称:伝産法)」の指定を受けるための受け皿としての環境の整備、申請のための資料作成に努めました。

継ぐことに、揺らぎはなかった

−柴田さんご自身は、継ぐことに迷いはありましたか。

柴田:なかったです。小さい頃から工房が遊び場で、父はいつも楽しそうに仕事をしていました。日曜参観に糊がいっぱいついた作業着で来る父を見て、少し複雑な気持ちになることはありましたが、それでも「この仕事が楽しいんだろうなあ」と思えたんです。

中学生になる頃には、楽な仕事じゃないことも分かってきましたが、揺らぐことはありませんでした。

柴田慶信商店2代目・代表取締役柴田昌正さんの画像

−しかしすぐに家業には入られなかった。

柴田:大学を卒業してそのまま戻るということにはならなかったんです。ちょうど就職氷河期の頃でしたが、就職活動をしました。剣道をやっていたので、警察官などの道はあったのですが、やはり家に戻ろうと考えていたところ、父が「他の仕事を知らないで家の仕事をするようになったら、すねかじりになってしまうからだダメだ」と。

先輩が就職した会社が新潟にあり、光ケーブルの接続をする仕事を3年ほどやりました。当時はインターネット網が整備される頃で、それをつなぐ仕事があったんです。手先が器用だったようで、「ブレずに綺麗につなげられる」と評判になり、たくさん仕事を頼まれました(笑)。技術的には評価してもらえましたが、やはり家業に戻ることが目的だったので、2年後に帰ってきました。

「俺が元気なうちにいっぱい失敗すればいい」

−戻ってからは苦労を感じられましたか。

柴田:25、6歳ぐらいの時でしたか、百貨店で実演販売をしたんです。父がやっていたものを見よう見まねで。最初に行ったのが大分の百貨店でした。「いらっしゃいませ」も言えなくて、3日間、売上がゼロの日もありました。看板には父の名前が出ている。そこに若い2代目が立つわけです。百貨店の担当者や周りの職人からの視線も厳しくて、心が折れそうでしたね。

−そこから、どう立て直したのでしょう。

柴田:4日目に吹っ切れました。「もう二度と呼ばれないだろう」と思って、格好をつけるのをやめた。思いっきりやってやろうと懸命にやったら、少しずつ手に取ってもらえるようになりました。案の定、翌年からは呼ばれなくなったんですが(笑)、すごく良い経験をさせてもらったと思っています。

−そのご経験は、相当きつかったと思います。それでも、その後も挑戦を続けられた理由は何だったのでしょうか。

柴田:父の言葉ですね。父に、こう言われたことがあって。「俺が元気なうちに、いっぱい失敗すればいい」って。それは、自分が生きている間なら、失敗しても一緒にやり直せるということでした。「だから、やりたいことをやれ」と。それを言われた時に、すごく気持ちが安定したんです。自由にやっていいんだと。

その他にもたくさん失敗や苦しかったことはあるんでしょうが、そばで一番支えてくれたかみさんが、いろいろ一緒に解決してくれて。なので、つらいことはあったんでしょうけれども、今こうしてやっていられるので、思い出せないですね。

老舗ではないからこそ、開かれていた扉

三越日本橋本店の売り場の画像

−いわゆる「老舗」ではないことは、不利に感じる場面もあったのでは。

柴田:それは、ずっと父が感じてきたことではないかと思います。ただ、実は大館には「わっぱの老舗」は残っていないんです。大火※でみんな焼けてしまっているためです。

※大館は昭和以降に5回の大火に見舞われており、1956年(昭和31年)8月18日のものが最大で、多くの被害を出した。

曲げわっぱは、組合が国の補助金事業で大学の先生を招いて意匠開発をしたりするのですが、多くのところが工房を開放しなかった中で、父は自ら場を開いた。弟子につかなかった分、学びたい気持ちが強かったんだと思います。

そこで学んだのは、技術以上に、「ものづくりには、使い手・作り手・伝え手の心がある」という考え方だったそうです。儲かればいいとかではなくて、きちんと材料を使い切るとか、そういうことも、ただ独学でやっているとそういうことは学べないじゃないですか。ものづくりに対する向き合い方を学んだ出会いだったんですね。

老舗という話に戻しますと、老舗というのはずっと続いてきているという安心や信頼があるということですよね。柴田慶信商店のものは確かなものだ、安心・安全だとお客さまから選んでもらえるようにするには、「老舗が選んだもの」になるしかないと思ったんですよ。老舗と同じ信頼のおけるものだということになりますから。

−そこから老舗百貨店への出店を試みられていますね。

柴田:2009年(平成21年)の日本橋三越本店、2018 年の岩田屋本店、2025年は大阪梅田の阪急にも常設出店が叶いました。その他にも、東京・浅草店(2023年に閉店)、現在は2025年に東京・神楽坂店もオープンしています。父がコツコツと今までやってきたことが実ったり、そのパイプを使って一緒にお話ができたりする。縁を持ってショップとして入ることができて、信頼を勝ち取ったそこからは、次が楽になりましたね。

無塗装という選択

無塗装の白木の曲げわっぱの画像

−無塗装へのこだわりについても聞かせてください。先ほどの「ものづくりには、使い手・作り手・伝え手の心がある」という思想とつながっていますね。

柴田:曲げわっぱはご覧のとおりの白木です。ウレタン塗装をすれば手入れは確かに楽です。でも、それならプラスチックでもいい。水分を吸わないんですから。曲げわっぱの良さは、木が呼吸すること。手入れが必要でも、その時間も含めての「暮らし」だと思っています。

ワークショップの画像

−(インタビュー直前まで開催されていた)ワークショップでも手入れの話をすごくしっかりと伝えられていましたね。

柴田:曲げわっぱの良さは、水分を吸うことで冷めたご飯がおいしく、傷みにくいことです。これは杉が本来持っている効能をいかしたものづくりをしているからなんです。販売する方も実は大変だったりします。みんな楽な方がいいからです。でも、考え方をしっかり変えてもらうことをしなければいけないですよね。ですからしっかりとお伝えしています。

実は、私たちも最初はウレタン塗装をしていました。ホームページの最初にも書いているんですが、私が子どもの頃、小学校の運動会の時です。自慢の曲げわっぱに詰めた弁当をいざ口に入れたら、ウレタン塗装の臭いで食べられなかったのです。父は自分で作っていながら、気づかなかったんですね。そこから完全に無塗装に切り替え、40年は経っています。

かといって、無塗装が全てだというわけではありません。うちは内側も外側も無塗装仕上げが主力ですが、この産地には、ウレタンを塗っているものと、無塗装と、外は塗って中は白木と3種類あるのは、お客さまにとっては選べて良いのではないでしょうか。あとは、自分でどれを選ぶか。でも、みんな無塗装を使いたいんですよ、きっと(笑)。

捨てられていた木材に、もう一度光を当てる

木の断面の画像

−白太(しらた)への取り組みも印象的です。

柴田:木には赤太(あかた)と白太があります。赤太は芯があってその周りの赤い部分。白太は皮の内側の部分です。白太は、木目が細かくて弱いといわれて全部捨てられてきました。障子の桟なんかに使うくらい。でも秋田県立大学木材高度加工研究所の足立先生に強度の差を調べてもらったら、赤太と強度は同じだということがわかりました。ただ、白太は水の吸い込みが多い(水に弱い)ので、漆を塗るといいよということも秋田公立美術大学の熊谷先生に教えてもらって。そこから白太も使うようになりました。

将来的に、世界の紛争などの影響により外材が入ってこなくなれば、建設の人たちが材料確保のために国産材を買い占めるかもしれません。材料が足りなくなる時代はもう始まっています。だからこそ白太もきちんと使い切ることが必要だと考えています。

−それが「源平」につながっていくわけですね。

柴田:そうです。これまでの弁当箱などには赤太のみを使ってきましたが、源平には白太の混じる材料を使っています。ちなみにこの源平の名は、赤い幟の平氏と、白い幟の源氏が対抗した源平合戦から取りました。

源平仕上げの新たな商品としてデザインしたのが、container (box +tray) です。曲げ輪(蓋と本体の側面)には白太と赤太の混合材を、底板には白太の集成材を使って木地を作りました。内側、外側に5回ずつ拭き漆塗装をしています。そして、用途を限定しないために、あえてコンテナとかボックスといった名前にしました。

「これでいい」ではなく、「これがいい」

源平を手に取り説明をする柴田さんの画像

−今後についてお聞かせください。

柴田:「これでいい」じゃなくて、「これがいい」と思える暮らしを届けたいと思います。

曲げわっぱは、なくても生きていけるものです。必要なものだけで暮らせれば幸せ、なのではなく、人が生きるための心の栄養としてのちょっとした贅沢です。心は確実に豊かになる。

私たちはそういうものを作っているんだ、ということを自負して、これからもさまざまなチャレンジを続けていきたいと思っています。

―――
もっと知りたいあなたへ

柴田慶信商店
https://magewappa.com/

- SNSでシェアする -