クリスマス、その意味を考え振り返り、そして納得した五十路の初冬
12月に入ると、街のあちこちでクリスマスソングが流れ始める。50歳になった今も、その音色を聞くと心のどこかがざわめく。幼い頃の記憶が蘇り、子育て時代の慌ただしさが思い出され、そして今年はどんなクリスマスを過ごそうかと考える。半世紀を生きてきて分かったことがある。クリスマスは、年齢を重ねるごとに違う顔を見せてくれる特別な日なのだ。
子ども時代〜魔法を信じた12月
小学生の頃、12月に入ると毎日がクリスマスまでのカウントダウンだった。サンタクロースは本当にいると信じて疑わず、枕元に靴下を置いて眠る前のワクワク感は、今思い出しても胸が高鳴る。
当時の我が家はそれほど裕福ではなかった。それでも毎年、クリスマスの朝には必ず欲しかったおもちゃが枕元に置かれていた。真っ赤なラッピングペーパーに包まれたそのプレゼントを開ける瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものだった。
あの頃は、クリスマスが純粋に「魔法の日」だった。サンタクロースが本当に存在し、この日だけは何か特別なことが起こると信じていた。その無垢な信仰心は、大人になった今となっては二度と手に入らない、貴重な宝物だったのだと気づく。
青春時代〜恋と華やぐ聖夜

高校生になり、大学生になり、社会人になって。クリスマスの意味は徐々に変わっていった。サンタクロースの正体を知ってからは、この日は「恋人と過ごす特別な夜」という認識に変わったといってもよい。
20代の頃は、クリスマスイブに恋人とデートをすることが最大の関心事だった。レストランの予約に奔走し、プレゼント選びに何日も悩み、当日は気合いを入れて服を選んだ。イルミネーションが輝く街を歩き、少し背伸びしたディナーを楽しみ、夜景の見えるスポットで素敵なプレゼントを贈りあう——そんな「定番のクリスマスデート」を何度も繰り返した。
今思えば、あの頃のクリスマスは華やかだったが、どこか浮ついていただけのような記憶だ。本当に大切なのはクリスマスという日そのものではなく、一緒に過ごす相手との時間だったはずなのに、「クリスマスをどう過ごすか」という形式ばかりにこだわっていた気がする。
それでも、あの時代のクリスマスには若さ特有の輝きがあった。未来への希望に満ち、すべてが新鮮で、毎年のクリスマスが新しい物語の始まりのように感じられた。青春の1ページとして、それはそれで大切な思い出になっている。
親の気持ちが分かる年齢
50歳となった今、ようやく理解できることがある。あの頃、自分にクリスマスプレゼントを用意してくれた両親は、どんな思いでそれを選んでいたのだろうか。
今だからこそ、当時の家計の厳しさが痛いほどわかる。にもかかわらず、あの小さな奇跡だけは毎年途切れることはなかった。母が手作りしたケーキも、限られた予算の中で精一杯の愛情を込めて作ってくれていたのだろう。

子どもの頃の自分は、そんな親の苦労を知る由もなかった。ただ純粋に、サンタクロースが運んできてくれた魔法を楽しんでいた。でも、それでよかったのだと今は思う。親は子どもに魔法を信じさせるために、裏で必死に働いている。その構図こそが、クリスマスの本質なのかもしれない。
自分が親世代になり、子どもにプレゼントを用意する年齢になって初めて、その重みを理解した。そして五十路を迎えて、さらに深く親の気持ちが分かるようになった。親は自分の幸せよりも、子どもの笑顔を優先する。それが当たり前だと思ってやっている。見返りなど求めず、ただ子どもが喜ぶ姿を見たいだけなのだ。
今年のクリスマスは、実家に電話をかけて「あの頃のクリスマス、ありがとう」と伝えようと思う。50年をかけて、ようやく言える言葉がある。
現代のクリスマス〜変わる過ごし方
時代とともに、クリスマスの過ごし方も変わってきた。昭和の頃は家族で過ごすのが一般的だったが、平成に入ってからは恋人と過ごす日というイメージが強くなった。そして令和の今では、クリスマスはより多様な過ごし方が受け入れられている。
一人で過ごす「ソロクリスマス」も、もはや珍しくない。友人同士で集まるクリスマスは「フレンズマス」とも言うらしい。家族で過ごす場合も、豪華なレストランで外食する家庭もあれば、自宅で手作り料理を楽しむ家庭もある。正解はなく、それぞれが自分らしいクリスマスを作り上げている。
SNSの普及も、クリスマスの風景を変えた。イルミネーションやケーキの写真をアップし、リア充ぶりをアピールする光景も日常になった。それを見て羨ましく思う人もいれば、プレッシャーを感じる人もいる。クリスマスは祝福の日のはずなのに、時には人を苦しめる日にもなっているかもしれない。
50歳になって思うのは、他人のクリスマスと比較する必要はないということだ。派手に過ごそうが静かに過ごそうが、その人にとって心地よい時間を過ごせればそれでいい。クリスマスは競争ではないのだから。
今年のクリスマス〜静かな時間を
若い頃のように華やかなパーティーはしない。子育て時代のように慌ただしく準備することもない。ただ、お気に入りのワインを開け、手作りの料理を楽しみ、クリスマスソングでも聴きながらゆっくりと語り合う。そんなシンプルな時間が、今の自分たちには一番心地よい。
窓の外にはイルミネーションが輝いているかもしれない。街では若いカップルが楽しそうに歩いているだろう。でも、自分たちには自分たちのクリスマスがある。派手ではないけれど、温かくて穏やかで、今までの人生を静かに振り返ることができる時間。
今年のクリスマスは、過去を懐かしみ、現在に感謝し、未来を穏やかに待つ日となるだろう。サンタクロースを信じていた子ども時代、恋人と過ごした青春時代、親として奮闘した子育て時代。すべてのクリスマスが積み重なって、今の自分があるのだ。
クリスマスの本質〜愛と感謝の日

50年間、さまざまなクリスマスを経験してきて分かったことがある。クリスマスの本質は、当然ながらプレゼントの豪華さでもイベントの盛大さでもなく、「誰かを想う気持ち」にあるということだ。
親が子どもを想い、恋人同士が相手を想い、友人が友人を想う。その気持ちを形にする日が、クリスマスなのだ。だから、どんな過ごし方であっても、そこに愛と感謝があれば、それは素晴らしいクリスマスになる。
いまさらだが、クリスマスはもともと宗教的な意味を持つ日だ。日本では宗教色は薄れ、商業的な「冬の一大イベント」としての側面が強くなっているが、基本的にはキリストの誕生を祝う日である。誕生を祝うことは、命を大切にすることであり、人を愛することに通じるのではないだろうか。
こう考えて、ようやくその意味が腑に落ちた気がする。クリスマスは派手なパーティーをする日ではなく、日々の当たり前の幸せに感謝し、大切な人々への愛を確認する日なのだ。
当日を迎えたらきっとこう言うだろう。「今年も無事にクリスマスを迎えられてよかった」と。それが50歳のクリスマスの、一番大切な言葉なのかもしれない。そして親にも、感謝の言葉を伝えよう。半世紀かけて辿り着いた、温かなクリスマスの過ごし方がここにある。
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もっと知りたいあなたへ
※このコラムには関連する情報はありませんので、クリスマスに向けて寄付を募る団体の情報を記載します(編集部)
あしながサンタ(公益財団法人児童養護施設財団)
https://ashinagasanta.org/
認定NPO法人 チャリティーサンタ
https://www.charity-santa.com/
本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。