地方の奇妙な看板『猫に餌をやらないでください』の10年戦争
地方の公民館の壁に、小さな貼り紙がある。 猫に餌をやらないでください」この貼り紙、よく見ると、少なくとも3世代ある。 一...
地方の公民館の壁に、小さな貼り紙がある。
猫に餌をやらないでください」
この貼り紙、よく見ると、少なくとも3世代ある。
一番古いのは、色褪せて、もはや文字が読みにくい。
でも、剥がされていない。
その上に、同じ内容で、新しい貼り紙が貼られている。
さらにその横に、もう一枚。
「猫への餌やりは、近隣の迷惑になります」文面が、少し強くなっている。
そしてさらに、手書きで、「お願いします」と書かれた紙が、追加されている。
この貼り紙の層が、物語を語っている。
最初は、優しくお願いした。
でも、効果がなかった。
少し強めに、書き直した。
でも、餌をやる人は、減らなかった。
手書きで、「お願いします」を追加した。それでも、猫は、増え続けている。
この貼り紙の前を通るたび、誰と誰の、見えない戦いが、
ここで繰り広げられているのか、想像してしまう。
餌をやる人は、この貼り紙を見ていないのか。見ているけど、無視しているのか。
それとも、「これくらい、いいじゃない」という信念で、やり続けているのか。
貼り紙を貼る人は、もう諦めかけているのか。
それとも、まだ希望を持っているのか。
地方の貼り紙は、剥がされない。
新しい貼り紙が、古い貼り紙の上に、どんどん積層していく。
この層が、時間の経過と、人間の諦めと、
それでも諦めきれない想いを、全部、閉じ込めている。
「猫に餌をやらないでください」
この貼り紙は、今日も、誰かに読まれて、誰かに無視されて、
そして明日も、そこにある。
地方の貼り紙は、主張ではなく、祈りなのだ。
誰かが聞いてくれることを、静かに、待ち続けている。
地方の取扱説明書 地方の『お茶だけ』の取扱い方
地方で「お茶だけでも」と誘われたとき、それは本当に、お茶だけでは終わらない。 お茶が出る。 お茶菓子が出る。 季節の果物...
地方で「お茶だけでも」と誘われたとき、それは本当に、お茶だけでは終わらない。
お茶が出る。
お茶菓子が出る。
季節の果物が出る。
「これ、ちょっと食べてみて」と、手作りの漬物が出る。
そして気づいたら、「お昼どうする?」という話になっている。
「お茶だけ」は、入口の名前だ。
入ってしまえば、そこから先は、流れに身を任せるしかない。
「お茶だけだから」と30分を想定して行くと、3時間後に帰ることになる。
でもこれは、引き止められているわけではない。
話が自然に続き、時間が自然に伸びているだけだ。
地方の「お茶だけ」には、終了時刻がない。
終わるのは、どちらかが「そろそろ」と言ったときだ。
でもこの「そろそろ」を言うタイミングが、難しい。
早すぎると、「もう帰るの?」となる。
遅すぎると、夕飯まで巻き込まれる。
そして帰り際、必ず何かを持たされる。
野菜、果物、手作りの惣菜。
「お茶だけ」と言われて行ったのに、両手に荷物を持って帰ることになる。
【取扱注意点】
・「お茶だけ」は入口の名前。本当にお茶だけでは終わらない
・時間に余裕を持って行く。最低2時間は見ておく
・「そろそろ」を言うタイミングは、相手の話が一区切りついたとき
・手ぶらで行かない。何か持っていくと、バランスが取れる
・持たされた物は、必ず後日お礼を言う。これが次への布石になる
地方の「お茶だけ」は、時間と食べ物と会話がセットになった、
一つのパッケージ商品だ。
お茶だけで終わらないことを知った上で、
それでも「お茶だけ」という名前で呼ぶ。 この優しい嘘が、地方の礼儀なのだ。
地方の奇妙な看板 手書きの『注意』が増殖する公民館
地方の公民館には、手書きの貼り紙が、異常に多い。 「使用後は必ず消灯してください」 「ゴミは各自お持ち帰りください」 「...
地方の公民館には、手書きの貼り紙が、異常に多い。
「使用後は必ず消灯してください」
「ゴミは各自お持ち帰りください」
「トイレットペーパーの芯は、ゴミ箱へ」
「スリッパは揃えてください」
「エアコンは28度設定でお願いします」
そして、極めつけは、「借りた物は元の場所に戻してください」の下に、「『元の場所』とは、借りた場所のことです」という補足が、追加されている。
地方の公民館の貼り紙は、誰かが何かをやらかすたびに、一枚、増える。
最初は「常識でわかるでしょ」と思われていたことが、誰かが破ったことで、貼り紙になる。そして、その貼り紙を読まずに、また誰かが同じことをすると、さらに強調された貼り紙が、上から貼られる。
「使用後は必ず消灯してください」
↓
「使用後は必ず消灯してください!」
↓
「★重要★ 使用後は必ず消灯してください!!!」
ビックリマークが、怒りのバロメーターになっている。
この貼り紙を眺めていると、ここで何が起きたのか、想像できてしまう。
誰かが消灯しなかった。
誰かがゴミを放置した。
誰かがスリッパを揃えなかった。
その一つ一つが、貼り紙という化石になって、壁に残っている。地方の公民館は、人間の「やらかし」の博物館だ。
貼り紙を読めば、この地域で何が問題なのか、すべてわかる。そして不思議なことに、貼り紙が増えても、問題は減らない。なぜなら、貼り紙を読む人は、もともと、ちゃんとする人だからだ。
貼り紙を読まない人は、50枚貼られても、読まない。それでも、貼り紙は増え続ける。
「今度こそ、読んでくれるかもしれない」
この希望が、地方の公民館の壁を、文字で埋め尽くしていく。
地方の奇妙な看板『不法投棄禁止』の看板の下にゴミが増える謎
地方の山道の脇に、看板が立っている。 「不法投棄禁止」「監視カメラ作動中」 その真下に、ゴミが捨てられている。 冷蔵庫、...
地方の山道の脇に、看板が立っている。
「不法投棄禁止」「監視カメラ作動中」
その真下に、ゴミが捨てられている。
冷蔵庫、タイヤ、布団、テレビ、自転車。誰が捨てたのか、誰も知らない。
でも、確実に、看板を読んだ上で、捨てている。
なぜなら、看板の真下だからだ。
地方の「不法投棄禁止」看板には、逆説的な効果がある。
「ここに捨てる人がいる」という情報を、提供してしまうのだ。
ゴミを捨てたい人は、人目につかない場所を、探す。
そして、「不法投棄禁止」の看板を見つける。
「ああ、ここが、そういう場所か」
看板が、捨て場所を、教えてしまう。
さらに、「監視カメラ作動中」とあるが、カメラは、ない。
これも、地元の人は知っている。予算がなくて、カメラは設置できなかった。
でも、看板だけなら、安く作れる。
「カメラがあると思わせれば、抑止力になるだろう」
この期待は、見事に裏切られた。
ゴミを捨てる人は、カメラがないことを、見抜いている。そして、捨てる。
地方の「不法投棄禁止」看板は、禁止ではなく、目印になってしまった。
皮肉なことに、看板が立つほど、ゴミが増える。
でも、撤去しない。撤去したら、「何もしていない」ことになる。
看板が立っている限り、「対策はしている」と言える。
効果がなくても、やっている感が、大事なのだ。
地方の看板は、時に、逆効果でも、立ち続ける。
それが、「やれることはやった」という、最後の証明なのだから。