2025.10.17

近代日本を支えた地・栃木県日光市足尾~足尾銅山記念館、足尾再発見の旅2~

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近代日本を支えた地・栃木県日光市足尾を訪ねる、足尾再発見の旅。前回第1回目では、教科書に載っていない、足尾の歴史ストーリーを中心に、現在の足尾に至るまでをお伝えしてきましたが、第2回目の今回は、2025年8月に一般公開が開始された「足尾銅山記念館」をはじめ、現在の足尾の主な見どころをご紹介します。

歴史と文化を伝える施設

新名所「足尾銅山記念館」がオープン

竣工時の足尾鉱業所画像

今春、一般社団法人古河市兵衛記念センターによる「足尾銅山記念館」が完成、この8月から一般公開され、新しい観光の名所として注目されています。この記念館は、東京駅や日本銀行本店、奈良ホテルなどを設計した辰野葛西建築事務所が設計に関わり、1912年(明治44年)に竣工した「足尾鉱業所」を復元したもので、館内では創業者の思いに始まり、銅山の開発、先進技術の導入、町の発展、公害の発生とその克服、古河グループの形成、緑化活動などを時代の変遷とともに展示しています(予約制・入場料1,000円)。わたらせ渓谷鐡道・足尾駅から徒歩3分に位置しています。

足尾銅山記念館内部の画像

古河掛水倶楽部~世紀を超えた迎賓館~

古河掛水倶楽部外観の画像

「足尾記念館」のすぐ隣には、「古河掛水倶楽部」があります。この建物は1899年(明治32年)、迎賓館として建設され、隆盛期には銅山を訪れる多くの要人が招かれました。鹿鳴館や古河庭園などを設計したイギリス人建築家、ジョサイア・コンドルの影響を受けたといわれており、館内には国産では最も古いとされるビリヤード台のある撞球場や日本間など、貴賓客をもてなす設備が揃っています。

明治時代にはここで豪華なフランス料理がふるまわれるなど、文化の発信地でもありました。2006年に国の登録有形文化財になったこの建物は、4月中旬~11月下旬に開館しています。 

旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫(国登録有形文化財)

掛水赤煉瓦書庫(国登録有形文化財)

掛水俱楽部の敷地内にある赤レンガ倉庫は、足尾鉱業事務所の付属書庫として建設されました。足尾でも数少ない明治期の本格的な赤煉瓦建築で、2016年には国登録有形文化財にもなっています。外部からの見学のみとなりますが、一見の価値ありの佇まいです。

そのまま現存する足尾の遺構

足尾には、明治時代から昭和にかけての遺構が今もそのまま現存しています。火薬庫など非公開のものもありますが、いずれも時代を偲ばせるものです。

足尾のシンボル「製錬所・大煙突」

本山精錬所の大煙突の画像

足尾の北部・松木地区の入口には、本山製錬所を象徴するかのように孤高の大煙突が立っています。1916年(大正5年)に着工され、1919年(大正8年)に竣工した高さ約45mの煙突は、足尾銅山の無公害化への取り組みの歴史ともいえます。実際には、あまり貢献できなかった大煙突ですが、足尾銅山に今も残る遺構として現代に生きる私たちにメッセージを伝える存在となっています。

古河橋〜日本最古級ともいわれる現存する道路用トラス鉄橋

夜の古河橋の画像

1887年(明治20年)の火事で木製の橋が燃え落ちたことがありました。火事で輸送が止まり銅山の操業に支障を出してしまったことを教訓として、「燃えない橋」としてこの橋が導入されたのです。架設は1890年(明治23年)、ドイツ・ハーコート社製で国の指定重要文化財となっています。当時の橋が今でも原位置で現存している貴重な歴史的資料です。

小滝坑口〜主坑の一つへの入口

小滝坑は、明治期以来の足尾銅山の主坑(本山・小滝・通洞)の内の一つです。1954年(昭和29年)まで使われていた坑口で、1885年(明治18年)から約70年の間、銅を産出しました(外部からの見学のみ)。

今もなお稼働する、通洞変電所

通洞変電所の夕暮れの外観の画像

現在も稼働していながら歴史的遺産でもある通洞(つうどう)変電所。足尾銅山関連施設の多くが廃止され、また取り壊されている中で、現在も東京電力が古河の施設を使用して各家庭に送電し、足尾地域に電力を供給している現役設備であると同時に、電力需要の拡大に伴う増設・改変の歴史を伝える貴重な施設です。残念ながら外観のみしか見ることはできませんが、現在まで受け継がれている歴史を建物から感じることができるでしょう。

大迫力の足尾砂防堰堤

足尾砂防堰堤の画像

足尾地域では、銅山の煙害と山火事により山から緑が失われ荒廃は極限になりました。このような状況のなか、1947年(昭和22年)の台風などの大災害により、足尾砂防堰堤(あしおさぼうえんてい)の必要性が認識され、1950年(昭和25年)に建設に着手、5年の歳月をかけて1955年(昭和30年)に完成しました。

高さ39m、長さ204m、貯砂量500万㎥で日本最大級の堰堤です。堰堤下にある、銅(あかがね)親水公園には、足尾焼の陶板で作られた巨大壁画や、足尾の歴史や自然環境について学べる「足尾環境学習センター(後述)」があり、観光スポットとなっています。

足尾に生きた人々の息吹を感じる~施設で学ぶ

足尾には日光市と古河グループが運営する学習施設があります。そこでは命がけで仕事をした人々の姿や繫栄を物語る展示、公害からの環境学習に至るまでさまざまな展示がされており、足尾について学ぶことができます。

足尾銅山観光~坑内の観光施設~

実際に利用されていた坑道の見学は、歴史に興味がある方には外せないことでしょう。

トロッコ電車は通洞坑の入口から150mほど薄暗い坑道内を走行します。さらに明治時代に掘られた坑道内を歩いて探索すれば、当時の鉱石採掘の様子が年代ごとに再現されています。鉱石から銅になるまでの過程などが展示されている銅(あかがね)資料館と足字銭(江戸時代に足尾で鋳造された寛永通宝の通称)の鋳造過程が展示されている鋳銭座(ちゅうせんざ)も併設されています。

坑夫たちは全国から労働力として駆り出され、福井県・富山県など北陸地方出身者も多く働いていました。 

鉱山で働く坑夫たちの画像

あしおトロッコ館

2025年4月にオープンしたばかりの「あしおトロッコ館」は、足尾銅山観光から徒歩3分ほどに位置し、足尾銅山の鉱山鉄道をはじめとして、全国各地で活躍していた鉄道車両およびトロッコなどの鉄道系施設が保存・展示されている施設です。かつて足尾の街中を走っていたガソリンカーや、元海軍の機関車が牽引するトロッコ列車が走ります。

足尾環境学習センター(銅親水公園)

銅親水公園は、前述の通りに足尾砂防堰堤下、雄大な自然が広がる松木渓谷の入口近くにあり、公園に至る全長106mの銅橋は、巨大な足尾砂防堰堤を眺めるには最高のロケーションです。園内には、環境問題についてパネルと映像で分かりやすく学べる「足尾環境学習センター」などがあります(開館は4月1日~11月30日)。

まちあるきで歴史と文化を深堀する

足尾・まちなか写真館

まちなか写真館の看板の画像

「あしおまちなか写真館」は、賑わっていた往時の写真を町内各所に展示したもので、各施設や場所の看板に写真が掲載され、現代の風景と昔の風景が比較して見られるようになっています。さらに看板にあるQRコードへのアクセスでより詳しい情報が得られます(一部地区では通信電波が届かないため付近の施設で検索可能)。

足尾ガイドツアー「足尾まるごと井戸端会議」

活気ある鉱山の遺構をいかしたまちづくりのグループ「足尾まるごと井戸端会議」。閉山により人々がいなくなり自然豊かな足尾をありのままに伝え、教科書に載っていない足尾をガイドしています。

「わたらせ渓谷鐡道とトロ道歩き鉱都(まち)を感じるまち歩き」などのテーマや所要時間(2時間程度〜)など、要望に沿った予約制のガイドツアーを提供します。

足尾に寄せて「いにしえから未来に繋ぐため、今、できること」

今回は、足尾の案内人として、明治時代の足尾の専属写真家「小野崎一徳」氏の4代目で、現在は日光市のAMO(Ashio Management Organization:足尾DMO)の準備室長としてトップを務める小野崎一(おのざきはじめ)さんにお話をうかがいました。小野崎さんは現在、国内のみならず海外にも足尾地域の情報を発信していくための整備やインバウンド対策などに取り組んでいます。

小野崎一氏の近影画像

足尾の観光地としての魅力とは

足尾は、明治時代から大変活気ある鉱山街でしたが、現在は「公害」の部分以外ほとんど知られていません。アジアが植民地化、欧米列強の危機感を抱き、日本は世界とわたりあっていくために国力を上げる必要がありました。その牽引役に足尾銅山が大きな役割を果たしていたのです。世界史から見ると、その時代の銅の役割は非常に大きいのです。公害を踏まえた上で環境問題を理解し、歴史を発掘し、伝える役割があると考えました。

例えばロープウェイの原型が足尾の索道といわれるのですが、機械化する前の山を切り開いていく、アナログ的に手作業で試行錯誤していったことが垣間見えます。近代化を支えた人たちの力とそのダイナミズムに感動しました。大変便利になった現代ではあまり経験できない、あの頃の生みの苦しみのようなもの、危機感を抱きながらも試行錯誤した時代の熱量や空気に触れてほしいと感じています。

足尾の歴史を受け継ぐ子孫として生まれて

この町を離れた頃、「足尾出身」と口にすることにためらいがあり、劣等感も抱いていました。私の実家は、足尾銅山の専属写真家であった先祖・小野崎一徳を初代とし、代々写真館を営んできました。私は四代目にあたりますが、大学を卒業するまでは、先祖が撮影した写真にあまり関心を持っていませんでした。

しかし、社会に出てから、三代続く写真館や高齢の父の存在、生まれ故郷への思いを考える機会が増え、自分の生き方を見つめ直すようになりました。やがて先祖の写真に触れる中で、足尾の産業化や近代化、そしてそこから生まれた独自の文化を伝えるという、自分の進むべき道を感じるようになりました。

写真を通して父や先祖の思いを知り、「地域資源を活用して地元を盛り上げたい」という気持ちが芽生えました。足尾では、明治期に全国でも珍しくフランス料理をふるまう文化があり、そのゆかりある方からレシピを受け継ぎ、ビーフシチューを再現しました。また、はげ山にニセアカシアを植えてはちみつを作ったり、坑道内でワインを熟成させる取り組みも行ってきました。

一方で、過疎化・高齢化の課題があり、価値を伝えられるマンパワーが薄くなっています。活動の基盤となるのは「ひと」です。関係人口を増やすということは大きな課題であり、ツアーもクオリティを上げていくことが必要になります。足尾出身の方々も多く足尾を訪れるのですが、実際にガイドツアーに参加されると、知らないことがたくさんあったと感動されています。

まだまだ知られていない足尾を多くの人に知ってもらい、そして足を運んでいただきたいです(談)。

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もっと知りたいあなたへ

足尾銅山記念館
https://www.ashiomine.or.jp/
古河掛水倶楽部
https://www.furukawakk.co.jp/ashio/
足尾銅山の産業遺産の紹介(日光市)
https://www.city.nikko.lg.jp/soshiki/10/1041/2_1/1232.html
あしおトロッコ館
https://ashio-toro.jp/
銅親水公園
https://www.nikko-kankou.org/spot/32
「足尾エリアのまちあるきガイド」
https://ashiokanko.com/free/marugoto
足尾・まちなか写真館HP
https://ashiodozanworldheritage.net/photo
Route. N #5タイムスリップ足尾マップ
https://www.city.nikko.lg.jp/new_nikko/route_n/4037.html

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