2025.5.7

人に喜ばれる仕事を!〜瀬戸内の島で柑橘に惚れ込んだ男が追いかける夢〜

- SNSでシェアする -

愛媛県越智郡上島町、といっても具体的にどのあたりなのかわかる人は瀬戸内海に相当詳しいか、愛媛の海側が地元だという人に限られるだろう。東京育ちの筆者には、瀬戸内海に浮かぶ島が所属する市町村、県がどこなのかの区別は申し訳ないがつかない。

あまたある島の一つ、岩城島で、特産の柑橘類をはじめとする農作物やその加工品を全国に向けて出荷し、その品質の確かさから多くのファンを地道に獲得し続けている会社がある。その名も「株式会社ぽんぽこらんど」。ほっこりした社名だが、彼らの送り出す柑橘は首都圏や関西圏などの大都市の有名店や外資系ホテルなどが採用する極めて高い品質を誇っている。愛媛の小さな島から届けられる美味しさはどのように成り立っているのかを探った。

起業するまでは柑橘に特別な興味もなかった

ぽんぽこらんどは、社長を務める古崎公一が17年前に30代で志を同じくする仲間と立ち上げた会社だ。古崎は福井県の出身で、父が事業を展開する裕福な家庭で育った。高校時代からバイクや車のレースなどに興味を持ち、アルバイト代を全て注ぎ込んでしまうほどの熱中ぶりだったという。

青いロードスターとの写真

大学時代をアメリカで過ごし、「入学するのは簡単だが卒業するには猛勉強が必要」を身をもって体験したものの、大学時代にも車のレースに熱を上げていた。カレッジから有名大学に進み大いに学び、卒業後にはアメリカで就職するも数年後に帰国を選択する。

帰国後に古崎が就いたのがコンサルティング業だった。様々な企業の経営に切り込みアドバイスし、新規事業の開発や経営の立て直しなどに関わり、文字通りビジネスの最前線で活躍した。稼いだお金を盛り場で飲み歩いて使い倒したこともある。そんな生活の後に父の営む家業を長男として手伝うことになった。

しかし、父の興した事業への参画は、自分が本当にやりたいこととは違い、ぶつかり合うことばかりになってしまう。数年後、父の会社を飛び出して愛媛の島に移住することを選択した。

島では、愛媛の昔からの基幹産業である造船業の企業に勤めた。バイトから始まり社員になり、良いポジションで充実した仕事を任されていた古崎が、なぜ農業に関わる事業で起業することになったのか。

「ぽんぽこらんどを起業するまでは、柑橘というものに特別な興味も思いもなく、ビタミンCがあり健康的で美味しい食べ物というごく一般的なイメージしか持っていませんでした」と柔和な笑顔が印象的な古崎が話す。

柑橘並べた写真

しかし、島の人々と親しく接するようになると、農家の努力や真面目さがうまく伝わらず正当な対価が支払われていないことに強い不満を感じるようになった。真面目な島の農家にお金が回っていないという農業の現実を目の当たりにして、「これは改善しなくてはいけない」と強く思ったのだそうだ。

会社員だった古崎はそれをなかったことにせず、なんと勤めていた企業を退社して、柑橘をメイン商品にした「株式会社ぽんぽこらんど」を創業してしまった。

ぽんぽこらんどの歩みと存在意義

当然ながら最初から柑橘がバンバン売れるわけもない。誰の信用もない中、現金を握りしめてグレードの低い柑橘を現金と引き換えに農家から仕入れさせてもらい、安い価格で販売していた。

安い商品ほどクレームが多いもので、胃の痛い日々が続いたが、起業時に強く持った「真面目さを対価に」「嘘のない商品を販売する」という信念を貫いてきた。

「自分ができる範囲で客に直接販売し、その利益を農家に還元できれば良いのだ」と考えた古崎は、東京のファーマーズマーケットなどに出店を始めた。これが、今のぽんぽこらんどに繋がる小さな産声だった。がむしゃらに手足を動かし、ひたすら車を運転して柑橘を運んでいたころは10年間ずっと赤字続きの日々。

コンサル業で稼いでいたころの個人資産は少なくはなかったはずだが、気がつけば口座に7万円しか残高がなかった、というようなこともあった。

マルシェ写真

それでも諦めなかったのは、島の農家Mさんが穏やかに教えてくれた農家の現実、これを変えたかったからだ。「真面目な仕事には正当な対価を払い続けられるように、無駄をなくし努力をする」という古崎の考え方は現在も変わらない。

「私がお客様に農家さんを紹介し、私を介さず直接やりとりすれば理論上は最も効率が良いです。しかしそれがかなり難しいということが生産地にいるとよくわかります」これはどういうことなのか。

古崎は「つまり生産する人(農家)が直接販売するということ自体に無理があるのです。もちろん頑張って生産も販売もされている方もおられるので、それを全否定するわけではありません。しかし、全員がそれをできるわけではないのです」と話す。

直接繋いだ方が良いだろうと判断して整えても、数ヶ月後か長くても次のシーズンになると双方がぽんぽこらんどに戻ってくることが多いのだそうだ。

この理由はさまざまだが、供給量と品質の不安定や、値つけが折り合わない、受発注での不備などの小さな事柄がB2Cビジネスでは致命的になることが多い。農家はこういった事象にそれぞれ対応することの難しさを知り、逆にぽんぽこらんどの存在意義を理解してくれるようになってきた。

かつては借り受けた農地で自分でもレモン栽培を行っていたが、現在では返却し、農家と買い手を繋ぐというぽんぽこらんどの存在意義=強みを活かした運営に注力している。

LEMON REVOLUTIONを仕掛ける

古崎が新たに取り組んで成功を収めているのが、「夏の国産レモン」の販売だ。

ぽんぽこのグリーンレモン

国産レモンの栽培が始まった約40年前から定説とされているのが、「夏に国産レモンはない」ということ。実際、5月下旬から国産レモンが市場から少しずつ減っていく。6月に入ると低温庫で保管していたレモンが冬の時期よりもkgあたりの金額が100〜200円アップする。

同時にグレードの低いレモンは暑さに負けてしまい販売できなくなっていき、夏本番の7月になると、通常は国産レモンが市場から消える。

しかし、古崎は起業当初の2008年から「夏こそ爽やかにしてくれるレモンを出荷できないか」と考え、農家と一緒に挑戦を続けてきた。その結果、2023年にとうとう夏にレモンを出荷できることになったのだ。この年はぽんぽこらんどにとって「レモン革命(Lemon Revolution)元年」となった。

夏に出荷できる国産レモンはハウス栽培されたもの。7月に収穫したグリーンレモンは高値で出荷されていくが、利益をギリギリまで削っても1玉が250円程度にはなってしまうという。

だが、保管していた貯蔵レモンとは全く違うグリーンレモンのもぎたての鮮度と香り・味わいに、買い手側は飛びついた。初年度は高い価格設定に売れるかどうかの不安もあったが、来年以降を見据えて農家とほぼ全量を値引きせずに希望金額で契約し支払った。リスクを農家だけに負わせることは不本意だからだという。

結果はものすごい反響で、予想を上回る売れ行きで完売。古崎と島の農家たちの長年の挑戦は見事に実を結んだ。

ぽんぽこらんどのネクストステージ

真夏のグリーンレモンや加工品のジュース、ドライフルーツ、逆に冬は柑橘の秋であるため生果を扱い、一年を通じて地元のものを販売しているぽんぽこらんどだが、この先にはどのようなことを考えているのだろうか。

「私自身が50歳を超え、コロナ禍を経て世の中も大きく変わったことから、対面販売中心の動きに加えて、ネットショップやSNSでの発信などデジタルをうまく使って、ぽんぽこらんどの柑橘を「販売する人」から「紹介する人」に変わっていかなければと考えています」と古崎はこれからのぽんぽこらんどの向かう先について語る。

もちろん人に直接会うことの大切さもよくわかっている。

それに加えて、さまざまなSNSを駆使して柑橘の素晴らしさを伝え、これまでに説明がされずに古崎が改革をせねばと気付かされた農業の問題点についても、同様に紹介していき、農家と消費者をつなげる場作りなどもしていきたいと考えているそうだ。

キッチンカー

さらに、新たに「Deli(デリ:惣菜)の製造販売」も手がけはじめ、すでに大きなイベントでの販売実績も積み上げている。「YES and Deli」は、ぽんぽこらんどの飲食事業部門として、自前のキッチンカーを持ち地元地域(しまなみエリア)の柑橘や野菜、特産物を使ったDeliを製造し販売してきた。

畑で余った野菜や行き場を失った柑橘をうまく使い、フードロスを減らす活動に繋げるなど、新しいことにトライしてきた。何事にもチャレンジする古崎らしく、今後も面白いことを考えているに違いない。

変わらぬものと繋げていくものと

しかし、変わらぬことがある。「真面目さを対価に」「嘘のない商品を販売する」ということだけはこれから先も変わることのない古崎とぽんぽこらんどの信念である。

2008年から、直筆の手紙を顧客への配送品に同梱しているが、これは感謝の気持ちを表すと同時に、いつまでも飽きずに楽しんでもらう工夫でもある。オリジナルの便箋はすでに100冊以上を使い切った。

社員がみんな映ってる写真

古崎が語る。「ぽんぽこらんどは農家支援の会社。農業を生業にできるキラキラ輝く仕事にしたい。少なくとも我々と付き合ってくださっている協力農家さんをもっと良い商環境に連れていきたい。農業をやっていてよかったと思える農家さんを増やしたいんです」

そのためには自分たちが「安心して良い農産品をつくる次世代を創造する」ことが必要。そして普段から農家と話すことによって、より深く理解した知識を顧客に説明・紹介し、そして販売することまでをできるようにしなければならない。

「人に喜ばれる仕事がしたい」と、瀬戸内海の小さな島で農家と買い手を繋げる事業を創り出した元コンサルタントは、「なかなか儲からないけれど、お金の代わりに感謝の言葉をどちらの側からもいただける。それがあるから今も続けていられるし、自分の人生を豊かにしてもらっていると感じているんです。これからは、この思いを受け取ってさらに伸ばしてくれる人を育てたい。

5年あれば引き継げるかな、ぜひ次の世代の力を借りて繋げていきたいなあと思っています」と目を細めた。

変わらぬものと繋げていくもの——ぽんぽこらんどの向かう未来が楽しみである。

ーーー
もっと知りたいあなたへ

ぽんぽこらんど
https://ponpokoland.co.jp/

- SNSでシェアする -