栃木・塩谷郡塩谷町の洋食店〜店名の出ない旅するグルメ5〜
本当に旨いものがそこに待っているのなら人は千里の道さえ駆け抜ける。そんな話についつい頷いてしまうわたしがいる。食への執着が強いのだろう。食いしん坊の自覚はたしかにある。
千里の道をものともしない魅力的な食事などと聞いては誰もが気にならないわけがない。「どこのなにがしの店なのか教えてくれてもいいではないか」そういうご意見もよくわかる。ヒントは文中にたくさん散りばめてある。あなたの手で解き明かしてたどり着いてほしいと思っている。ほんのひと手間だがそれをかけるに値する店を紹介、だからこその「店名の出ない旅するグルメ」なのだ。
リセットの地、露天温泉へ
リラックスしたい時がある。いろいろと行き詰まることも多い仕事の数々。そういうものを一旦リセット、たとえばまるごと1日、仕事のことを一切気にせず欲望に忠実に動いてみる。そんな日を意識して作ると、苦しんでいた仕事のアイディアがふと浮かんできたり、迷っていたことに道筋が見えてきたりする。もちろんいつでも必ず、というわけにはいかないが、そんなリセットが「効く」時がある。
そんなわけで、いくつかのリセットの選択肢を持っている。今日はとびきりのコース。日光方面に向かおう。温泉だ。湯に体を委ねてぼんやりしよう。スペシャルな日帰り温泉がある。いつぞやの道行きで偶然見つけたお気に入りの場所。
鬼怒川の由来

栃木・鬼怒川と言えば温泉のイメージが強い土地。著名な温泉地であり、特に深く考えずに土地の名前として鬼怒川、鬼怒川と口にするが、文字にしてしげしげと見るにつけ面白い名前だと思う。鬼怒川、鬼が怒る川である。なぜこの名前なのか。調べると由来がいくつかあるようだ。その歴史は栃木と群馬あたりが「毛野国」(けぬのくに)と呼ばれていたといわれる古墳時代まで遡る。
3世紀半ばからはじまった日本の古墳時代。弥生時代と飛鳥時代のあいだにあって7世紀初頭まで続いたその時代が、645年の乙巳の変(いっしのへん)、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿暗殺を実行して蘇我氏が崩壊した。日本の歴史の大きな転換点となった。
その後、蘇我氏打倒から天皇をふたたび核に据えた中央集権国家への政治改革「大化の改新」が進む激動の時代、、、おっと、そのまま続けると歴史ロマン大作になってしまう。なので大きく端折るが、そういう時代に現在の群馬県と栃木県南部の領地の名を「毛野国」と呼んだ。今も残るかみつけ、しもつけの土地の名はそれぞれ昔は「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」の名であった。途中で「野」の文字の省略がなされたようだ。
その土地を流れるのが「毛野河」。けのかわ、もしくはけぬがわ。けぬのがわ、とも呼ばれていたそうで、栃木の方言で子音の「い」と「え」が入れ替わるなどの癖から「鬼怒川」(きぬがわ)となったという説がある。読みは同じで「絹川」や「衣川」と記述された時期もあったとされる。
それとは別に洪水や豪雨の時に普段は静かな川が激しい水流と流された岩が転がる大きな音などから「鬼が怒っている」という例えをするようになって定着したという話もある。どちらも魅力的な推論だ。
川沿いの崖縁に建つ温泉
そんな歴史などに思いを馳せている間に車は目的地にたどり着く。私の好みでバイパスを避け旧道を選ぶような走り方をすると自ずと川沿いの狭い道などに案内される。車を操る楽しみと旧道沿いの古い建物や昔からの店など風情というものが楽しめる選択だ。
鬼怒川温泉郷まであと15分ほど、というところだろうか。温泉郷界隈、両岸に観光旅館が並ぶ深い谷、その底を流れる鬼怒川という絵柄にはまだなっていない、川幅広く岩の多い河川敷がある地区。温泉郷周辺の雰囲気よりももう少し開放的な雰囲気の場所だ。まだ温泉宿が少ない地区で塩谷町という名前だったはずだ。
その温泉の前を初めて通りかかった時にブレーキを踏んだのはなんだか少し様子が変わっているから。温泉宿の看板がかかっているが建物がないのだ。いや、建物はあるのだが小さな平屋、しかも入口がない。数台ほどの駐車場があるだけ。これはどういうことだろう。
車を駐車場に入れるとその理由がわかった。駐車場の端に階段を見つけたのだ。ははあ、なるほど。ここは崖上。駐車場の脇から階段で降りるのか。建物本体は川沿いの崖の斜面に張り付くように建っている。チラリと見えていたのは温泉宿の最上階の端っこ。崖の上は小さな入り口だけというわけか。階段を降りてたどり着いたのがフロントだった。
鬼怒川一望、露天風呂の極楽

温泉入浴の受付を済ませ、そこからまた少し階段で降りてゆくと小鳥小屋があって、可愛い小鳥をみることができる。その奥で備え付けのサンダルをつっかけ、さらに階段を降りると崖のなかほどという高さの場所に露天の温泉があらわれる。屋根がある建物内には着替え場とロッカー、ガラスで仕切られたそのむこうには洗い場と湯殿、その先に露天風呂と並ぶ。これはずいぶんといいではないか。決して広くはないが、平日にやってきて静かに温まるにはもってこいの温泉だ。
露天風呂からの眺め、絶景である。この温泉の名前の由来にもなっている川霧が、川床からゆらりとあがってきてもおかしくない。遮るものがいっさいない露天風呂から見下ろす鬼怒川の流れ。岩に当たって飛沫を上げながら悠々と流れる姿。露天風呂には源泉の注ぎ口があり熱い湯が流れ込んでくる。熱めの湯が好きな下町生まれ、血栓待ったなしの私であるが、そんなことさえこれっぽっちも思い出させない極楽がそこにあった。
お湯はクセなく匂いがなく、すこしぬめりもあって好みの泉質。目を瞑り源泉掛け流しの熱い湯に体を浸して川のせせらぎや鳥の声を聞き、目を開いて河原の様子を眺める。遠くに見えるのは男体山らしい。日が暮れていくのを最後まで見届けたくなる。雨や雪の日なども来てみたい。色々な表情の鬼怒川を見てみたくなった。
とろけるような1時間ほどを過ごして正気に帰った。腹の虫が「そろそろどうですか」と問いかけてくる。さて、腹が減った。どうしよう。いや、今日は考えることはない。晩飯の場所を決めてきているから。今夜は洋食。食事にしよう。
人気の洋食店へ
湯上がりですぐ食事というのもなんなので、ゆるゆると着替えたり涼んだり。落ち着いたところで温泉宿を出た。店は本当にすぐそこだ。斜め向かいといってもいいような距離。その店は広い駐車場がたちまち埋まる人気店。17時からの開店に合わせて風呂を出てきた。150キロの遥か彼方、その距離を今宵のメシのため車を飛ばしてきた。
日が落ちて真っ暗な、細い細い川沿いの道に忽然と現れる黄色い看板と店。まわりは驚くほど何もない。温泉宿と鬼怒川河川敷と道。そんなものしかないこの場所に温泉宿はともかく、レストランがなぜ、と訝しむような立地。しかし店は大いに繁盛中。その人気は一度食べれば深く納得できる。開店時間の17時にやってきたがすでに数台の車が開店を待っていた。30台は止められるであろう駐車場が小一時間もすれば満車になるはずだ。
とんかつ、ステーキの看板を掲げる洋食店。看板通りのステーキにとんかつ、ソテー、ハンバーグにエビフライといった嬉しいメニューの数々が並ぶ。初めての来店の時、偶然ここを選んだ自分を強く褒めてやりたい。
待ちに待ってた「にんにく焼」と初めのサラダの矜持
店内は清潔できちんとした雰囲気。お母さんが注文を取って回り、お父さんが厨房のコック長、息子さんであろうか、コックさんが炎をあげるフライパンを振っている。家族経営の穏やかでほっこりした空気がホールにも漂っている。客たちも常連が多いようで店員さんと短いおしゃべりを交わしている。
とにかく「にんにく焼」というやつに目がない。厚切りのポークソテーに特製のにんにくダレをかけてある逸品で、これに惚れ込んでいるのだ。たくさんのメニューがあるのに私はここでは一生「にんにく焼」だけ注文する人生である。
夕方の開店時間ぴったりにすでに他の客が二組いる。そのうち一人の注文がやってきたようだ。あっ!すごいぞ。どうやら特製エビフライらしい。とんでもない太さ、高々と天を指して立ち上がったエビフライ。あれは間違いなくいいものだろう。さあ、次はわたしのにんにく焼の番である。
まず、サラダがやってくる。何気ないサラダだがきちんと作ろうという気概が見える。メインディッシュの価値を高めるようなサラダ。おまけではなく食べれば腹と気持ちに残る量を出してくれることに感心させられる。ちゃんとした、昔懐かしい透明なビネガードレッシングというのも洋食店の矜持を感じさせる。
にんにく焼の破壊力と豚肉堪能で至福のひととき

待望の「にんにく焼」がやってきた。この破壊力はただ事ではない。厚くて、熱くて、ジュージューという音と共に盛大に立ちのぼる湯気に目が眩む。大変なものがきてしまった感は何度この店に来ても変わらない。レギュラーサイズと大判という2種、それぞれ250グラムと350グラム。レギュラーを頼むも、予想を遥かに超える大きさと厚みでグッと気持ちを掴まれる。
いい匂いをぷんぷんと振りまく熱々のポークソテー。脂身がむっちりして旨そうだ。表面はカリッと仕上がり、気持ちをそそるいい焼き色がついている。サクッとした食感を感じながら噛んでいくと柔らかいのにきちんと歯を押し返してくる弾力と噛み応えがあって満足感がすごい。その上におろしニンニクの特製ソースが景気良くドバッとかかっている。醤油ベースの甘辛ダレという風情。にんにくのすりおろしが肉の上にこれでもかと残り、見るだけで血圧が上がる気分なのだ。
数万円もするものすごい肉などとはまた違う、程よく上質の肉を腕とセンスと心意気でその価値を何倍にも高めるような、そういう調理調味を経た味。こういうものにこそ価値がある。この肉にはきちんとした職人さんの仕事がある。
ものを食べる快楽、食のエクスタシーというようなものは実際にあると思っているが、これがそうかと確信。隣の席の若いお嬢さんがチラリとこちらを見てくる。そうだろう。ひとくちごとに変な声をあげているおじさんが横にいる。すまんな、でもしかたない。抑えが効かない。にんにくの「シビレ」がすごい。ヨダレと脳汁と涙がほとばしる。付け合わせのインゲンにもちゃんと満足感があり、フライドポテトもぞんざいな感じはまったくなく丁寧なもの。
いいお湯の温泉の後ににんにくたっぷりはちょいとナンセンスかもしれない。が、無粋な歯磨きでこの余韻を消してしまうのは惜しい。さいわい今日は一人だ。どうせ深夜部屋に辿り着くまで人には会わないのだから。
後ろ髪引かれつつの退席
ひとり小さなテーブルで至福に打ち震えていると、奥の座敷の客が帰り支度をして次々と支払いにやってくる。地元の家族が多いようで、店主や奥様に話しかけ和やかな空気が広がる。こういうものをよそ者としてそっと気配を消しながら眺め、その楽しげな空気をお裾分けいただいてさらに充足感が高くなる。なんとしても、未来永劫続いて欲しい店なのである。
気がつけばもう席はずべて埋まり、待ち客が出ているようだ。私も立ち上がらなければ。奥様においしかった旨を伝えて外に出た。駐車場にも待ちが出ている。本当にいい店だ。遠くにあってよかった。近くにあったら通い詰めて身体をこわしそうだ。
古い駅舎へ寄り道、帰り道
驚くほど何もない場所でのこの至福。むかしむかしなら製材業発展の中、東武矢板線(旧下野電気鉄道矢板線)も通っており、蒸気機関車が客車と貨車の混合列車を牽く姿が見られたそうだがそれも1959年半ばに廃止。船生(ふにゅう)駅がある時代なら徒歩でもたどり着けたかも知れぬが、現在は東武日光線新高徳(しんたかとく)駅から歩いて40分。店の近くには旧東武矢板線 遅沢川橋台跡(おそざわがわきょうだいあと)という鉄道遺構がある。鉄道マニアの貴兄なら見にいくのも一興だろう。残念ながら、今日のわたしは日が落ちてしまって叶わなかった。

そうだ、そちらは無理だがJR日光駅の駅舎まで足を伸ばそう。東照宮や中禅寺湖を擁する地域であり日本有数の観光地、皇族も訪れる駅であるためか、古い駅舎は美しい保存がなされている。1912年落成の2代目駅舎が現在のもの。ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建て、駅舎2階にはかつての一等車利用者用待合室「ホワイトルーム」がある。駅ギャラリーとして一般公開になっている、見ておくべき建物。繊細なシャンデリアとクラシックな木の窓枠、磨き上げられた木の床は一見の価値がある。夜に訪れると大変趣があるのだ。
さて、自宅ははるか150キロ彼方。日光駅の駅舎で少しロマンティックな時間を過ごしてから帰途につくことにしよう。いや、今宵はニンニクくさい私ではあるが。
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もっと知りたいあなたへ
栃木県塩谷町公式ホームページ
https://www.town.shioya.tochigi.jp/
国土交通省「鬼怒川」
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0303_kinugawa/0303_kinugawa_00.html
日光市公式観光WEB
https://www.nikko-kankou.org/
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本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。