2026.3.6

二つの顔を持つ松山城に登る〜城下町・松山の繁栄の源泉(愛媛県・松山市)〜

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春や昔 十五万石の 城下かな——明治を代表する俳人、正岡子規が松山城について詠んだ名句であり、この句を知らない松山市民は恐らくいないだろう。

愛媛県松山市の中央部は、重要文化財に指定される「萬翠荘(ばんすいそう)」や、人気歴史小説に関連する「坂の上の雲ミュージアム」といった文化施設の他、「大街道」という歴史ある商店街があり、観光スポットとしてはもちろん地域住民の生活の場として栄えている。その繁栄の源泉は勝山山頂にそびえ立つ松山城であり、城下町としての営みの歴史が松山を彩っている。そんな松山城の歴史と特色、そしてもう一つの顔を紹介していきたい。

どの登城道を選ぶのか

松山城観光は登城から始まっている。松山城へ登る徒歩でのルートは大きく分けて四つ。東雲神社参道を進む「東雲口(しののめぐち)登城道」、貴重な登り石垣が間近で見え比較的歩きやすい「県庁裏登城道」、江戸時代の正規ルートで石段が多く険しい「黒門口(くろもんぐち)登城道」、緑が気持ちのいい秘密基地に続く山道のような「古町口(こまちぐち)登城道」。

どのルートにも魅力はあるのだが、体力に自信のある方には黒門口登城道をおすすめしたい。険しい道ではあるが江戸時代から残るものであり、見えない足跡を辿ることで松山城を訪れる当時の人々に思いを馳せることができるだろう。そして城は、城主が敵から身を守るための要塞であり、登城口を自分の足で登ることで、まるで城攻めをしているかのような体験をすることができる。

東雲口登城道を下から見上げた画像

リフトに乗って登ってみる

難攻不落の松山城だが、体力に自信がなくても観光をあきらめる必要はない。松山城に登るもう一つの方法はロープウェイ。街の乗り場からアクセスできるロープウェイ・リフトに乗っての登城がある。

松山城登城ができる1人乗りリフトの画像

東雲口にあるロープウェイ駅舎から10分ごとに運行しているロープウェイ、順次運行している一人乗りのリフトを使うことで城山の麓である長者ヶ原(チョウジャガナル)まで楽に登ることができる。リフトで城に登るというシステムはとても珍しく、日本では松山城でしか体験できない。少しスリリングではあるが、風を浴びながら悠々と登る松山城も粋ではないだろうか。

また、リフトの落下防止網には松山市が取り組んでいる「ことば」による街づくりの一環として、地域住民から寄せられたことばの落とし物があるため、足元に目を向けるのもいいだろう。ロープウェイとリフトの料金に違いはなく、往復520円で片道が270円となっている。小人は往復260円で片道140円。

天守閣と松山城の歴史

長者ヶ原に着くとそこから本丸に向かうわけだが、少し遅くなったが松山城の歴史について紹介しておこう。松山城の創設者は戦国時代の武将で「賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍」の一人として名を馳せた加藤嘉明(かとうよしあき)だ。関ヶ原の戦いの功により20万石の大名となった嘉明は、それまで居城としていた正木城(愛媛県松前町)では手狭になったと考え、松山平野の中央に位置する勝山に新たに城を築くこととし、1602年(慶長7年)から松山城の建設へと取り掛かった。途中で嘉明は会津40万石に転封となりながらも工事は蒲生忠知(がもうただとも)に引き継がれ、四半世紀の月日をかけて1627年に松山城は完成した。その間の1603年に勝山は松山という名前に改められている。

1784年(天明4年)には天守が落雷により焼失してしまったが、1854年(安政元年)に再建され、その時の天守が現在も残っている。そのため、松山城は江戸時代以前に建設され、廃城令や戦火を免れて現代まで残る12しかない貴重な天守「現存十二天守」に名を連ねている。

また、築城主として松平家の手が加わっているため、現存12天守の中で唯一、瓦に「葵の御紋」が付されている。天守を含め21の重要文化財を保持しているなど、歴史的に高い価値を持っている。

現在は天守から松山市を一望できる美しい景色を楽しむことができ、北側には高縄山(たかなわさん)、西向きには伊予灘(いよなだ)、南に松山市街中心部と皿ヶ嶺(さらがみね)連峰、東には石鎚山(いしづちさん)と360度全てが絶景だ。その眺望はミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの1つ星に選定されていて、歴史的価値だけでなく景観的にも非常に優れた観光名所といえるだろう。

もう一つの顔とは鉄壁の守りを誇る「要塞」

そんな松山城のもう一つの顔、それは要塞としての姿だ。松山城の完成は江戸時代になってからであり、戦の歴史はない。しかし戦乱の時代を生き、城攻めの経験が豊富だった嘉明によって築城された松山城は鉄壁の守りを誇っている。

小高い山の山頂に本丸を構え、南西麓に二之丸、三之丸を配し、水堀や土塁で囲むことで地形を利用した防御力を発揮し、屈曲した進入路に城門や櫓を構えて逃げ場のない状態での迎撃を可能としている。本丸と二之丸をつなぐ登城道の南北には二本一対の登り石垣によって守りを固めている。

登り石垣は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本遠征軍の倭城築城(わじょうちくじょう)で採られた防備手法と言われており、山腹から侵入しようとする敵を阻止することができるというものだ。現在は南側にのみ完全な状態で残されており、前述したとおり県庁裏登城道から見ることができる。 

正規のルートである黒門口登城道の険しい道を登っていくと、遠く真正面に天守が現れ敵兵たちはそちらに果敢に前進することになると思われるが、その先は行き止まりになっていて無駄な体力を消費することになる。仕方なく回り込むと扉のない怪しい戸無門(となしもん)が現れる。

戸無門の画像

警戒しながら進むと背後から鉄砲や弓で狙撃されてしまい、前進するしかなくなってしまうのだ。そこに立ちはだかるのは松山城で最も堅固な筒井門(つついもん)である。

敵が門を破るのに手間取っている間に、攻め手から死角となっている隠れ門から敵の背後を急襲する。そして死に物狂いでそこを突破したとしても、不届き者たちが最後に足を踏み入れるのは四方八方に櫓からの射線が通った中庭なのである。万全の状態ならばまだしも、消耗を重ねた状態でそこを突破するのはいかにツワモノであっても不可能だろう。

このように松山城は要塞としての恐ろしい顔を持っているのだ。なお、松山城の城攻めを疑似的に体験できる、松山城ARアプリ「攻略 松山城」は以下のQRコードよりダウンロードすることができる。

言葉で説明される以上のスリルと嘉明公の巧みさを思い知ることとなるだろう。

ARアプリ「攻略 松山城」のQRコードが掲載された説明看板の画像

さまざまな顔を持ち、いくつもの視点、道から楽しむことができる松山城は、足を運ぶ度に新しい気付きと魅力を感じることができる。松山を訪れた際には、一度と言わず何度も松山城に遊びに行くのはいかがだろうか。きっとあなたも松山城の虜となるはずだ。 

ライター:大阪芸術大学 文芸学部 鎌田

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本記事は筆者の見解・体験に基づくものであり、一部一般的な情報や公開資料を参考にしています。

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