
「村がすごく静かだな、と思ったんです。そんな状況を見て、もっと賑わう場所にできないか、地域のものづくりや産業に貢献するにはどうしたらいいか、という思いが湧き上がりました。」
プロジェクトの創始者で共同代表を務めた志賀智寛(しが ちひろ)さんの言葉にはっとした。
東日本大震災後の福島の復興は、まだまだ終わりが見えていない。避難指示が解除となり数年を経た2025年現在も、福島県・飯舘村の人口は震災前の4分の1ほどでしかないという。
かつては豊かな自然と人々の営みが調和していたこの村。震災と原発事故の影響で大きく様変わりしてしまったが、そこにあらためて人の気配を取り戻す。そんな試みのひとつが、この「飯舘村ホッププロジェクト」だ。
プロジェクトメンバーを訪ねて

東京大学の本郷キャンパスに、志賀さんたちを訪ねた。農学部の大学院生から留学生までが集まるサークルで取り組む、地域復興の話を聞きたかったのだ。
「飯舘村ホッププロジェクト」は、東京大学農学部、学生有志によるプロジェクト。福島県飯舘村でホップを栽培し、オリジナルクラフトビールの製造から販売までを目標とした。いずれそれが地域の産業として根付けば、という願いがこもった取り組みである。
2024年に共同代表を務めていた畑上太陽(はたがみ たいよう)さんと、インタビュー場所である学内のカフェスペースへ向かう道すがら、彼がふと道端の一角を指差した。
「見てください。これがホップです。」
目を凝らすと、建物の影にある植え込みの端に、ツタ状の植物が支柱を伝って伸びていた。雑草に紛れて、教えられなければ気づかないような植物だが、これこそがビールに欠かせない香りの要、「ホップ」なのだという。
プロジェクトについて語ってくれたのは、志賀さんと畑上さんに加え、現在代表を共同で務める小髙慎太朗(こだか しんたろう)さんと石橋宙郎(いしばし そらお)さんの4人。専攻や年次はそれぞれ違うものの、このプロジェクトの下に集い、目標に向かって時間をともにしてきた先輩と後輩であり同志でもある。
詳しい話を聞く前から、彼らの生き生きとした表情や未来に向かって進むエネルギーを目の当たりにして、若さと知力のまぶしさに、羨ましさと、頼もしさを感じた。
震災から始まる「知」の連携
「福島イノベーション・コースト構想」は、復興庁や経済産業省を中心に国が推進する国家プロジェクトだ。その一環として文部科学省も、全国の大学などが有する福島復興に資する「知」(復興知)を、福島県浜通り地域などに誘導・集積するため、大学などによる組織的な教育研究活動を支援している。
この復興知事業に、東京大学大学院 農学生命科学研究科 農学国際専攻の国際情報農学研究室も参加していた。
強く記憶に残る、2011年3月11日。東北地方太平洋沖地震、広く東日本大震災と呼ばれる大地震の発生とそれに伴う津波の被害。直接の被害を受けていない人々にとっても、日本人全体の心に深く傷を残した災害であった。
今回の「飯舘村ホッププロジェクト」の舞台となる村には、福島第一原発から車で約1時間という距離にある。この事故により、福島県飯舘村には早々に全村避難の指示が出た。それから6年ものあいだ、住民は村を離れて暮らすこととなった。
2017年、避難指示がようやく解除となり復興に向けての動きが始まったが、元の生活がすぐに戻ってきたわけではない。仮設住宅や他県での暮らしに慣れた人々が再び村に戻るには、大きな決断とエネルギーが必要だった。2024年現在、村内居住者は約1,500人。震災前と比べて4分の1にとどまっている。
「実際にはそれよりも少なく感じられます。」と志賀さんは静かに語った。
しかし、そうした現実の中でも、復興へ向けての挑戦は止まらない。東京大学の研究室がこの地に根を張り続けているのも、科学や技術だけでは解決できない「人と社会の課題」に寄り添おうとしているからだ。
土地の記憶、人々の思い、そして時間の積み重ね。研究とは、本来こうした不確かで、けれど確かに存在するものと向き合う営みなのかもしれない。農業を通じて、未来に繋がる「知」の形を、学生たちは飯舘村で模索していた。
飯舘村ホッププロジェクトのはじまり

「きっかけは学内からだったんですよ」と畑上さんは言う。
東京大学農学国際専攻・溝口勝(みぞぐち まさる)教授は、2011年の震災発生直後から飯舘村に入ることとなった。2017年3月には、東大農学部と飯舘村の連携協力協定が締結され、「村の復興に向けた総合的な農学」のテーマで研究活動を続けてきた。
2012年以降、溝口教授を筆頭として、学生も飯舘村に通いはじめる。初めは「研究のフィールド」として見ていた飯舘村だが、村の人々とのあたたかい交流のなかで、彼らにとって「知っている人たちがいる身近な場所」になっていった。
このプロジェクトに大きく関わる2人、志賀さんと畑上さんも、そんな背景の中で出会った。志賀さんは地方創生と営農支援を旨とする農業サークル「東大むら塾」に所属し、畑上さんは溝口研究室の学生。溝口教授は東大むら塾の顧問でもあり、両者の橋渡しをするように、飯舘村での学びと実践を後押しした。
「2022年、飯舘村小宮地区の方が、村にカラハナソウという野生ホップ近縁種が自生していることを先生に伝えました。それをきっかけに、ホップでビールを作るという話が出てきたんです」と志賀さん。
ビール製造に使われるホップは、和名をセイヨウカラハナソウ(西洋唐花草)という。カラハナソウはホップと近縁の植物なのだ。それが飯舘村に自生している。つまり飯舘村にはホップの育成可能な環境があると考えられるわけだ。涼冷な気候、排水性のよい土壌、昼夜の寒暖差といった自然条件もホップの栽培に適している。
志賀さんには過去に東大むら塾の活動で、千葉県南房総の富津市・鋸南町で、地域の方と一緒にホップを育てビールを製造した経験もある。過去に得たノウハウをいかして飯舘村でホップの栽培ができないか。この取り組みを大きく育て、地域の産業に繋げられないだろうか、ということである。
2023年は野生ホップの管理をしようと試みたが、山中という環境での栽培管理は難しく、残念ながら野生ホップを使った計画は断念することとなった。しかし、前述のように「カラハナソウが自生する場所=ホップが生育できる場所」なのである。
翌2024年には、セイヨウカラハナソウの中でも酒造メーカーでよく使われているホップ、「カスケード」と「マグナム」を中心に栽培することを決めた。場所は、村内のゲストハウス「COCODA(ココダ)」の畑。村の協力を得て畑を借り、ホップの苗を植える。飯舘村でのチャレンジが始まった。
この取り組みは、ただの実習ではない。実際に栽培、収穫して醸造し、ラベルをデザインし、販売まで行うという「リアル」なプロジェクトである。学生が手を動かし、人と対話しながら、地域の未来にかかわる。飯舘村ホッププロジェクトは、そうした営みの象徴だった。
テクノロジーを使い、自身の手で育てるホップ

もちろん村の皆さんや、ゲストハウスの方などの協力なしには成し得なかったプロジェクトである。しかしプロジェクトメンバー、院生と学部生約20人からなる有志のチーム自らが手を動かさねば進まないのもまた然り。土の上の、現場での仕事。それが農業だ。
ホップの栽培は、決して簡単な作業ではない。種をまいて終わりではなく、日々の手入れや観察が求められる。東京・本郷から遠く離れた場所の水やりや雑草除去、手入れなどはどうしていたのだろう。
「溝口先生が、村内に定点観測用のウェブカメラなどを多数配置してくださいました。村内のWiFi環境、メッシュルーティングなども整備してくださっていたので活用させてもらい、日々の観察は遠隔で学内やスマートフォンから育成状況の把握ができます」と、現在の代表たちが説明してくれた。
随時行っているモニタリングの状況から、次の作業について検討する。気象計なども設置されており、遠隔でさまざまな管理が行えているのだ。テクノロジーの進化が、農業の現場でも着実に役立っていることが実感できる。
ホップは強い作物のため、管理や水やりなどは学生たちが月に数回通うことでなんとか間に合わせることができたそうだが、「どうしても現地に行けない時はゲストハウスの方に手伝ってもらうこともありました」と彼らは語る。
さらに、ホップはほかの作物に比べて栽培期間が短く、比較的無理のない形で収穫を達成できる植物である。これは飯舘村において、高齢の方でも取り組みやすいと考えられ、住民の皆さんへの横展開がしやすいのでは、という考えにも辿り着く。
遠隔地から通いで続ける農業。これはなかなかに大変なことだ。しかし「えにしときずな」がある。使い古された言葉だが、そこには真実がある。村の人々、役場の皆さん、人々との交流の中で生まれたつながりや信頼が、お互いに続けていくモチベーションを支えているのだと感じられた。
テクノロジーが支えるのは効率や分析だけでなく、人の動きやつながりを「助ける手」でもある。村の未来に向けて、彼らの試みは確実に種をまいていた。
「IITATE ReCRAFT」の完成と賑わいの喚起
「ビールという目標、ゴールは明確ではありました。しかし、それ以上に考えたことは、若い学生をビールをきっかけに飯舘村にどんどん連れて行く、というサイクルができれば、ということでした」
来村する彼らに、浜通りの「東日本大震災・原子力災害伝承館」などを見てもらったりする中で、地方と関わるということや、災害とどう向き合うかについて、現地で何かを得てもらいたい。彼らの学びに対する気づきのきっかけになるのではないかということだ。初めの頃は、溝口教授と地域の人々とのすでにあった縁に支えられていたが、頻繁に通うことできちんとした繋がりができていった。
この流れから、飯舘村をもっと多くの人に知ってもらうために、「関係人口(移住者や観光客とは異なる、地域づくりの担い手となる、地域と多様な関わり方をする人々の意)」を創出することを目指した。
飯舘村ホッププロジェクトではCOCODAの畑を借りてのホップ栽培からはじまり、2024年の8月には約8kgのホップの収穫ができた。
ビール完成に向けて、可能な限り福島県内で工程を完結させると決めていたため、醸造は県内のクラフトビール醸造所「Yellow Beer Works」とタッグを組むことに。またラベルデザインは、飯舘村に拠点を構え、地域プロデュースや復興支援に取り組む「株式会社MARBLiNG」の矢野淳(やの じゅん)さんに依頼した。飯舘村の人々をはじめ、多くの協力者の力を得て、スピード感をもってビールの完成へと辿り着いた。

完成したビール、その名は「IITATE ReCRAFT(イイタテ リクラフト)」。名前には飯舘村の復興を願う「Re = 再び」の文字が冠せられている。
アルコール度数は5.0%、香り★★★★☆、苦味★★★☆☆。一口飲めば、ホップ由来の爽やかな香りがふわりと広がり、やや抑えめの苦味とすっきりとした後味が特徴の一杯だ。
2024年10月26日、飯舘村生まれの「IITATE ReCRAFT」お披露目会が開催された。翌日には「いいたて秋まつり」での限定販売も開始。のち「東大生協第二購買部」、「いいたて村の道の駅までい館」などで取り扱うようになる。
さらに、ゲストハウスCOCODA、醸造を受け持ったYellow Beer Worksの文化通り店、東京・赤坂にある「東北cafe&Diningトレジオンポート」での提供もされ、2024年製造分の「IITATE ReCRAFT」は、あっという間に完売となった。
福島県内はもとより、東京大学内、また全国的にもプロジェクトの取り組みと成果が大きな話題となり、メディアでも多く取り上げられたことによる後押しがあったかもしれない。しかし、話題性だけでなく味でも評価されて早期の完売に至ったのだろう。
学内生協での販売には、実は諸先生方の陰ながらの貢献があったらしいという微笑ましい話も耳にした。取材をしながらも飲めないということが、これほど残念だとは、と心から感じた。
そこからの未来への継続

「飯舘村ホッププロジェクト」は、学生が〇〇をやってみました、という単純な話ではまったくなかった。学生という立場の人間ではなく、幾人もの「考える人」が自分の叡智と体力のおよぶ範囲において、人と社会のために向き合い、取り組んだ価値のあるプロジェクトであると私は理解した。そしてこのプロジェクトは、次世代に引き継がれていくのだ。
修学と研究を旨とする彼らが、いくつかの縁に導かれてひとつ事を成した。ただノウハウを得る、学習するということではなかったはずだ。人との繋がりを以って事を成す。農業の背骨のような、それ以上に社会を営む根幹「人と一緒に何かを作り上げる」という体験だったのではなないだろうかと、若者たちの挑戦の足跡を辿ってみて強く思う。
プロジェクトは次世代に引き継がれ、ホップたちはいつか村を盛り立てる産業として村民に広まっていくのだろう。そういう未来が見える。2025年の豊作の知らせと新たな「IITATE ReCRAFT」を味わう日が、今から楽しみである。
―――
もっと知りたいあなたへ
飯舘村ホッププロジェクト情報リンクツリー
https://linktr.ee/iitatehop.ut
飯舘村ホッププロジェクト公式Instagram
https://www.instagram.com/iitatehop/
東京大学農学部(飯舘村ホッププロジェクト関連ページ)
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/news/news_20241108-1.html
東大むら塾
https://todai-murajuku.com/
福島イノベーション・コースト構想
https://www.fipo.or.jp/framework