長野県・諏訪大社門前のネパール料理店〜店名の出ない旅するグルメ1〜
八百万の神と、道すがらの挨拶
どうも信仰心が薄い男で自分を振り返るとちょいとよろしくないなあ、と思うところがある。
とはいえ車などでの道すがら、神社、お墓、お寺、道端のお地蔵さんには腹の中でちょいと挨拶することを欠かさない。「こんにちは、通りがかり、車でおさわがせします」とか「こんばんは、ライトまぶしくてすみません」とか。いやそれは逆に信心深いのでは、など人から言われて「ああ」と気がついた。何か神様を一人決めて、というのが苦手なのだ。
これはすごく自然なことなのかもしれない。なにしろこの国は「八百万(やおよろず)の神の国」なのだから。どんなものにも神様は宿っており、それを敬うのがわたしたち日本人の根っこだと思っている。いや、勝手にわたしが思っているだけなのだが。
このクセは多分スリランカに行った時についたものだ。ガイドの男性ドライバーが街の交差点の中央に頻繁に安置される仏像に必ずハンドルから手を離して拝むのだが、こちらはたまったものではない。わたしたちがホトケさんのところに行っちまうからやめてくれ、と思うもシンハラ語ができないので最後まで伝えることはままならなかった。
諏訪湖のほとりの総本社で

そんなことを色々思うのはここが諏訪湖のほとりだから。長野県の中央、信州の古都といえば全国に約2万5千社あるといわれる諏訪神社の総本社がある。信仰心薄いわたしでも名前くらいは知っている。ちょいとご挨拶にと帽子をとってお参りにお邪魔をすることにした。鳥居をくぐるときは帽子を取らねばいけないことを忘れずに。
諏訪大社、上社本宮(かみしゃほんみや)。静謐という言葉が似合う透き通った空気が満ち満ちている宮内。境内の玉砂利を踏みしめると澄んだ音が響く。高い杉の古木が空を覆い、木漏れ日が境内に静かな影を落としている。凛とした気のようなものを感じ背筋が伸びる。気持ちがいい。周りには連なる山々が見え、この土地が盆地であることを思い出させてくれる。秋口だったこともあり、冷たい空気が頬に気持ちよい。
そんな、目が覚めてしゃっきりするような時間を経て車に戻った。さて腹が減った。どうするか。
参道の路地で見つけた赤い三角

信州とくれば、信州そばにそばがき、みそ天丼、鯉こくかローメンか。蕎麦はやはり捨てがたい。食べ物のことを考えながら参拝者用駐車場を出る。参道の一つ隣の路地を通ると古い日本家屋の軒先に赤い三角がふたつ、たなびいている。おや、ネパール国旗だ。どうやらレストランカフェの様子。諏訪でネパール料理。それもよかろう。食事にしよう。
店は古い日本家屋で畳の間もあったりと懐かしく、それを楽しく快適にリノベーションしてあった。ネパール料理とお茶が用意される古民家カフェだ。古民家をリノベーションして飲食店とするスタイルは増えたが、やりすぎの店もあり残念な気持ちにさせられることもままある。この店はそれが一切ない。自然な雰囲気がとても心地よく大変にセンスがいい。だから古民家カフェという呼び方で括るのはちょっともったいない。きちんとその場所で生活していた名残を上手に残してのお店仕立てである。
縁側から見える裏庭には手入れの行き届いた菜園がある。秋野菜が青々と育っている。聞けばこの畑で育てた野菜を料理に使っているそうだ。信州の気候は野菜を育てるのに適している。昼夜の寒暖差が甘みを引き出すのだという。そういえば八ヶ岳のふもとのレタス畑を思い出す。この土地の野菜の味の濃さは定評がある。
地の野菜が奏でる、破格のおいしさ
メニューをみるとネパールの定食、ダールバートがメインの様子。それを土台にメインディッシュの煮込み料理=カレーの種類を増やす華やかなセットや、逆にダール(豆煮込み)とバート(ごはん)のシンプルなものもあった。
メインにチキンカレーとマトンカレーを据えたセットとした。大変に素晴らしい、夢見心地になるくらい旨いものだった。マトンは臭みがまったくなく、塩の効かせ方が見事である。大根が驚くほど柔らかく煮えており、肉の旨みを吸い込んでいる。この大根はおそらく地元のものだろう。みずみずしくて甘い。チキンは鶏ガラごと煮込んだような滋味深いスープで、繊細なのに旨味の輪郭がくっきりしている。
ダールはちょっと和食を感じさせるような雰囲気もあって面白い。おかず類も素材をいかした野菜中心のもので、それぞれ組み合わせると西洋料理のコースに匹敵する食体験が得られる。オクラはシャキッとした食感を残してスパイスと絡めてあり、青菜の炒め物は葉物の香りが立っている。玉ねぎのアチャールの酸味が料理全体を引き締める。大根と人参の漬物はパリパリと歯触りがよく、食欲を刺激してくる。
東京に住んでいるとネパール料理など食べる機会もままあるのだが、ここのものは破格のおいしさであった。やはり地のものの野菜や肉がしっかりした土台を作ってくれているのではないか。そのうえに丁寧な調理とセンスが重なる。
帰り際に奥様に少しだけお話を聞くことができた。奥様は日本の方。旦那様はネパールの方で厨房を回している。店内でセルフでもらえる水を、諏訪明神の御加護のもと流れる神宮寺の自然湧水、岩清水を用意するなど楽しいこだわりをもってこの快適な空間を作っていらっしゃるのだ。
流量豊富な汐(せぎ)が巡る町

そう、水。諏訪は、水だ。諏訪湖の話ではない。諏訪湖に流れ込む小さな川や泉の水の美しさの話だ。湖は残念なことに戦後の精密機械工業の発展の中で水質が悪化してしまった。諏訪精工舎(現セイコーエプソン)、コシナ、ヤシカ、チノンなどのメーカーがあり、精密機械やレンズの製造にはきれいな水が必須である故である。現在は水質の浄化がある程度まで進んでいることも聞いた。
店を出て、車で少し町のはずれに来てみた。諏訪の町や町から少し上がった場所を歩くと汐(せぎ)と呼ばれる水路、側溝くらいのサイズのものであるが、その汐がいたるところにあるのがわかる。古い家屋が軒を連ねる路地の脇を、透明な水が音を立てて流れている。家々の板壁は焼杉や漆喰で、時代を感じさせる佇まいだ。土蔵もところどころに残っている。
そこに流れる水は流量豊富で美しい。霧ヶ峰などからの伏流水であろう。あるものは田畑へ水を運び、あるものは雨で道が沈まぬように水を誘導している。ところどころに昔ながらの洗い場、洗濯場もある。石で囲われた小さな水場に澄んだ水が湧き出している。こういうものは一目見て都市部の側溝、「ドブ」とは違う豊かなものであることがわかる。
そんな汐(せぎ)を探すように眺めて歩くとその用途、存在理由が見えるのがとても楽しい。水路の脇に野沢菜が植えられていたりして、生活と水の営みが密接に結びついているのがわかる。
水と山の恵みが作る、この土地の味
この地方は盆地特有の冷涼な気候で、夏は避暑地として、冬はスキー場として賑わう。標高が高いため空気が澄んでおり、夜空の星がよく見える。秋には周辺の山々が紅葉で彩られ、観光客でにぎわう。そんな四季の変化がはっきりした土地だからこそ、食材も豊かなのだろう。
諏訪は水の町だ。そして山の恵みを受ける町だ。門前の異国の料理店で食べた野菜の味の濃さを思い出す。あの味は、この土地の水と気候が作り出したものなのだと納得がいく。
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もっと知りたいあなたへ
長野県諏訪市公式観光サイト
https://www.suwakanko.jp/